【短編小説】Prejudice

 雪が溶け始め、新たな一年が始まろうとしているこの季節。僕は、大手企業の本社ビルの前に立っている。
 いつもはビルのそばを通ってもなんとも思わないが、こうして目的を持ってビルを見上げると心臓が重く感じる。
 高校を卒業し、大学をいよいよ卒業しようとしている今。僕は新たな節目を迎えるために企業に対して自分を売り込みに行くのだ。
 学力には自信はある。今までこの瞬間のために生きてきた。自分がずっと憧れてきた企業だ。しかし、そんな僕にも弱点があった。

 ──僕の父は人を殺したことがある。
 僕の父は偉大な教師だったそうだ。生徒を想い、大切にし、そして生徒のために涙を流せるような。そんな心の温かい人物だった。
 だが、度重なる残業や、家族と仕事に板挟みになった父はついに発狂し、生徒を撲殺してしまったらしい。この事件は日本中を震撼させ、家族である僕達にも取材陣が押し寄せ、名前も晒し出され、有名になったほどだ。そのせいで母は痩せこけて、目は虚になってしまった。
 今は死刑判決によって故人ではあるが、思い返せば、学生時代、今までずっとクラスメイトや近所の人、先生など多くの人の偏見に悩まされていた。なにも悪いことをしていないのに当時の事件を自分のせいにされる屈辱はきっと一生をかけても忘れはしないだろう。
 揶揄われ、呵責され、気を落としている僕を母は何度も何度も励ましてくれた。
 いつか報われる日が来る。努力をすれば、絶対に報われる。
 その言葉を信じて今日の日までずっと耐えてきた。

 その会社のエレベーターは無音すぎた。面接会場への道のりはあまりにも遠く感じる。
 今この瞬間に時間が凝縮されているのが僕には、はっきり感じていた。
 一六階でエレベーターを降り、突き当たりの通路を右に曲がると、そこには椅子に座っている数人。
 この人たちも今この瞬間のために生きてきたのかと思うと少し申し訳ない気持ちになってしまったが、僕はこの戦争に勝たなければならない。
 僕を見かけた社員の人が、僕の方を一礼し。
「こちらの席でお待ち下さい」
 と優しい声で案内した。

 ──深呼吸をする。時間が静止する。
 物静かな廊下。誰一人として呼吸音を発しない。
 緊張というよりかは、恐怖の方が近い。僕の履歴書を見て一体何を話すのだろうか。そう考えるだけで涙が出てきそうになる。
 と、考えているときに、
「瀬川 文則さん」
 案内社員の優しい声と共に僕の運命の時が来てしまった。

 まだ心の準備ができていなかった。
 マニュアル通りにノック、そして入室すると、そこには三人の面接官がいた。
 右に二十代くらいの若く美しい女性。中央には老いた眼鏡の男、そして左には初老の男が座っている。
「おかけください」
 中央の老人の声と共に僕は一礼をし、椅子に腰を下ろした。
 その時だった。
 左にいる初老の男が、中央の老人と右の女性にに耳打ちをしている。
「瀬川 文則さん。貴方が弊社に就職したいと思った理由はなんですか」
 至ってシンプルなことを初老の男が問うた。
「僕は幼少期、友達がいませんでした。そこで遊んでいた御社のおもちゃを楽しいと思ったことをきっかけに玩具業界に興味を持っています。特に御社のモットーである"すべての子どもたちに自由なる遊びを"が遊んでいた経験のある僕からしたらとても魅力的で共感できます。僕は学生時代、校内企画のプランニングの経験があります。その経験を生かし、御社での子どもたちが楽しく遊べるような玩具を開発し、企画したいと考えております」
 決まった……と思い込んでいたのは僕だけだった。
 面接官三人は再び耳打ちを始めたのだ──。

 こうして僕の父のことは触れられずに、面接は終了した。大学や高校で学んできた面接方法がしっかりできている自信はあったが、あの耳打ちだけは気に食わない。
 あの耳打ちは、僕の父親について話していたに違いない。落とすことを前提にした話し合いがあそこでなされていたのだ。
 帰路に着く。僕の家は、マスコミから逃げるために辺境にあり、ここから数キロ歩いた駅から電車に乗らなければならない。
 結局、どんなに努力をしたって意味はなかったのかもしれない。どうして偏見と先入観でモノを言おうとするのだろう。
 僕は何も悪いことをしていないのに。
 僕は僕だけの人生なのに、いったいどうしたらよかったのだろうか。
 突然、僕の耳にクラクションが聞こえた。
 それは、自責の念から横断歩道が赤になっているのに気付いていなかったからなのか。意図せず死にたいと思ったのか。
 クラクションの方向を見たときにはもうすぐそこに車両は来ていた。
 大きくなっていくクラクション。
 後ろに一歩退こうと思ったときにはもう遅かった。

  ***

 数日後。彼の自宅には、一通の手紙が届いていた。
『採用通知書』。確かにそう書かれた封筒が彼の写真の前に置かれている。
 蝋燭ろうそくにはまだ火が灯っていた。

                   完

  あとがき

 はっきり言って、私は外道だと思う。
 シンデレラや、白雪姫、小公女のような私はそんな夢物語はあまり好きではないのです。『苦しんで苦しみ抜いた後に得られる幸福』は必ずしも誰にでも与えられるものではないからです。
 白馬の王子様に抱かれて城に連れられる夢を見る人には眉を顰めるような話題なのですが、私はこれが現実なのだと思いながら小説を書いています。
 閑話休題、初めまして。篝 永昌(カガリ ナガマサ)と申します。現実世界では変わり者である、しがない物書きです。前述の『夢物語』の価値観の通り、私はどこか一般人とは認識がズレているようなのです。それを踏まえてこの小説を読んで頂ければすごく幸いです。
 小説を執筆したはいいですが、私は読者の皆さんからお金を巻き上げる気は毛頭ないのです。ただ、少しだけほんの数分だけ私の書いた物語を読むための時間を拝借させていただきたい。私の望みはそれだけでございます。
 このお話は、今からちょうど一年前、コロナ禍に陥った直後の2020年5月25日に脱稿した作品です。その頃ちょうど、五月病でうまくいかない自分に歯痒さを感じてしまい、病んでしまいました。その時に風呂の中でちょうど思いついたのがこの作品です。
 しがない物書きですが、どうぞこれからも私の書くお話に興味を持ってもらえるようお願いします。

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