生きるために殺す君
「私のこと、好き?」
彼女は時折、僕に暴力的な言葉を投げつける。
「好きだよ」
まるで脳内の辞書をそのまま読み上げるように、僕はお決まりの言葉を返す。
ベッドに座る僕の膝にその頭を置いて微笑み、恍惚に溺れた表情をする彼女。漆のように長く艶やかな黒髪を僕の太ももからマットレスに向けて垂らし、短く整えられた前髪からは磁器のように美しく白い肌が見え隠れしている。繋がっては解けて、時に巻かれている、程よく乱れた髪。肩紐が落ちて細長く伸びた鎖骨がワンピースの隙間からちらりと見えている。この世に間違えて来てしまった悪魔のように妖艶で、空から迷い込んだ天使のようにおぼこい彼女の頭を、その形に沿ってさらさらと撫でる。
この流れは日課のようなもので、こうして少し会話をしながら過ごすこの時間が、僕には大切だった。
「今日はいくつ埋めたの?」
僕の問いに彼女はわざとらしく人差し指を顎に当て、思い出す素振りをした。
「みっつかよっつ…だった気がする」
「覚えてないの?」
「だって興味無いんだもん」
形だけ悪びれるように乾いた笑顔を零す彼女。先程までの妖艶さはさておき、幼女のように可愛くて、初々しい表情に、つい許してしまう。
「捕まっちゃだめだよ」
「捕まらないよ、何も悪いことしてないもん」
彼女はおもむろに体を起こし僕の隣に座った後、ベッドから立ち上がった。重心がずれたことでベッドからぎしりという音が漏れ出す。
「ねえ」
カーテンから覗く月明かりが、スポットライトのように彼女を照らしあげる。まるで演劇の山場のシーンで舞台中央に立つ大女優を照らすかのように。
「何?」
「私のこと、嫌いにならないでね」
夜空が彼女の白いワンピースに映り黒く染め上げ、仄かな月明かりが彼女を妖精のように美しく存在させた。愛らしくて、妖しくて、儚くて、美しい彼女から目を離すことが出来ない。まるでメデューサに石にされたかのように、瞬きすら。
「君が私のこと嫌いになって、私のこと攻撃したら殺しちゃうからさ」
まるでテレビのニュース番組で今日の運勢を読み上げるかのように淡々と告げられ、当たり前の如く使われる『殺す』という言葉。
「優しい君を殺したくないの。だから、嫌いにならないでね」
そう言って微笑む彼女は、今すぐにでも空気と同化し透けて溶けていくように儚くて、脆くて。
「分かってるよ」
そう応えて、呼応するように僕も笑うしかなかった。
彼女は殺人鬼だ。
昔は至って普通で、健常で、何をしても可愛らしい自慢の彼女だった。だが元来軽い統合失調症を患っていた彼女は日々を重ねる毎に他者に対しての攻撃性が顕著になっていき、全くの無関係の他者にさえ「自身を攻撃している」と無意識に捉えるようになった。相手への敵意、害意、殺意を抱く加害恐怖に苛まれる日々に彼女は心身ともに確実にすり減らしていったことをよく覚えている。初期は抗鬱剤で抑制していたのだが、度重なるストレスとお構い無しに頭に入り込んでくる加害恐怖、拭いきれない固定概念に耐えきれず、遂に行動に移してしまった。
初めて『そう』なってしまった時、僕は自首を勧めるでもなく、心中を選ぶでもなく、別れを切り出すでもなく、彼女の作りあげた『それ』を家の庭に埋めることを選んだ。そこには何も迷いはなく、真夏の昼の澄み渡る青空のように、脳内はクリアで綺麗なものだった。額から伝う汗を拭いもせずにただひたすらに大きなスコップで穴を深く深く掘り続け、ブルーシートに包まれた「それ」を穴に蹴り入れ、また土をかけていくその作業の時、僕の中を支配していたのは、確かな高揚感と、支配欲と、快感で。
彼女は自信にまとわりつく加害恐怖に苛まれた末にこうなってしまった。こうなることを選ぶしかなかった。彼女は誰よりも強くて、優しい人間なのだ。
ならば彼女の援護をすることが、彼女の1番近くに座っていられる彼氏の責務だ。1人では壊れて月夜に消えてしまいそうな彼女を、ここに繋ぎ止めて存在させることが僕に課せられた課題であり、成すべき最大の責務なのだ。
「大好きだよ」
その言葉に呪いをかけ、僕は今日も彼女を肯定する。僕以外の全てを殺して、埋めて、僕だけが彼女の隣に座っていられるように。
僕が僕で生きていられるのは、誰かを殺す君があってのことなのだから。