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酒と煙草とセックスでしか語れないなんて雑魚

「ではこれで、様子を見ましょうか」
「はい」
「では次の来院は1ヶ月後で、お大事に」
テンプレートな会話を医者と展開し、私は診察室を後にした。
白を基調としたクリアな廊下をふらふらと歩きながら考える。家にエビリファイが23錠、今日処方された分が1ヶ月分と頓服で70錠、次の診察までに2回はODが出来るだろうか。市販のデパス等も含めれば、もう少し出来るかもしれない。自傷の回数を勘定するなんて馬鹿げた話かもしれないが、私にとって生きる意味などこれしかなかった。どれだけ苦しんだとしても、どれだけ興奮したとしても、幸せになるストックがあるのだという安心感が、鎮静剤になってくれる。私にとっての安らぎなど、これしか残っていないのだ。

会計を終え、指定の薬局で薬を受け取り、街をふらふらと徘徊する。カバンが肩からずり落ち、薬の入ったレジ袋をぷらぷらと揺らしながらゆっくりとアスファルトを踏み締めて歩いた。
途中、無性に煙草が吸いたくなってコンビニに寄った。今禁煙中だったことに気づいたのは、店員に番号だけぼそっと伝えて商品を受け取った後だった。ライターを持ち合わせていなかったので一緒に購入し、退店してからその場で口に咥えて火を灯した。
手元で風に吹かれてゆらゆらと揺れる火、着火すると先端がちりちりと焦げていき、白が黒と灰色に侵食されていく。ぼーっとした感覚の中でふーっと吹き出し、外の空気を含むと、地球自体がくらりとバランスを崩したような、目眩に襲われた。揺らめく私怨が視界を曇らせ、今自分がどこに立っているのかも分からなくなる。
そもそも私は今立っているのか、存在しているのかさえも。
「つまんね」
カバンの中、煙草のボックスやら財布やらでぐちゃぐちゃになった中からスマホを見つけ出し、ある人とのLINEを開ける。相手側のアイコンを押し、無料通話のボタンを押した。数回小気味のいい軽い音が鳴った後、プツッという小さな音の後に、耳元に響いた聞き慣れた声。
「あー、奏?何?」
「今、暇?」
「はあ…別にいいけど…また?」
「いいでしょ、今通いの帰りだから」
「あーはいはい、分かったよ」
通話時間僅か14秒。それだけで私は今日も生きられる。
短くなった煙草を重力に任せ履いているサンダルで踏み潰すと、もう一本取り出してまた火を灯した。

「いつもいきなりだよな」
「逆にこれでちゃんとアポ取る方がおかしいでしょ」
「まあそれもそうだけど…ほら、とっとと入れよ」
乱雑にサンダルを脱ぎ、菜箸やら何やらが積み上がったキッチンを抜け、ワンルームへ向かう。積み重なった本に、脱ぎ捨てられたパーカー、机に置かれたペットボトルにはまだ半分ほど水が入っている。
布団の整えられてないベッドに腰掛けた。ニコチンの回った頭で溶けるように考えてなんとなく部屋を眺めて思考放棄していたその時、肩に手を置かれ、重力のまま勢いよくベッドへ押し付けられた。急に視界に映る景色が変わり、なされるがままに天井の眩しいライトを眺めた。
即座に首筋に右手が重ねられ、力任せに絞められていく。そして、これが私の求めていた感覚だと体が察知する。
気道は避け、首の血管のみが自分以外の他者によって狭められていく感覚。自分の生殺与奪が他者に握られている感覚。高揚感と、焦燥と、快楽が手から私の首へ直接伝わってくる感覚。
堪らない。まるで子供が誕生日に玩具を買い与えられたような、ケーキを口いっぱいに頬張るかのような、堪えきれない快楽と満足感が私を支配していく。腰に電流が走るような感覚、靄がかかるようにぼやけていく視界。何もかもを置き去りにしてこの感覚にだけ委ねられるこの時間、私にとって何よりも至福で、麻薬のような幸せに浸ることの出来る愉悦。堪らない。
目を瞑りながら享楽に身を委ね、「あ」だとか、「う」だとか、漏れ出る意味の無い言葉を空中に放った。自分に跨る彼の姿を見ようと薄く目を開いてみると。
「……っ、は、はは」
目にしたものを脳が瞬時に理解し、自分の口角が引き攣るように上がって口元から涎がたらりと垂れていくのが分かる。そのまま私は、白くぼかされていく頭のまま、彼に向かって暴言を吐いた。
「雑魚。後ろめたい?」
私の言葉にまるで死の宣告でも受けたかのような彼は首からおもむろに手を離し、体勢を戻した。
「…俺、そんな風に見えた?」
「見え見え。そうなるなら初めから言いなよ」
ゆっくりと体を起こし、押し付けられて乱れた髪とTシャツを適当に整える。
「別に、そういうのじゃないし」
「いいって、帰るよ。詫びに酒だけ貰っていい?」
「ごめん」
「了承ってことで、それじゃ」
テーブルの脚元に置いていたカバンと処方薬のレジ袋を掬い上げるように持つと、床に散りばめられたものを蹴らないように留意しながら冷蔵庫へ向かった。がちゃりと開け、部屋と同様に乱雑に入れられた食品達の中から適当な缶チューハイを1つ手に取り、そのまま玄関へと歩みを進めた。
「好きな人とお幸せに」
「そういうのじゃないんだって、奏、あのな」
続きの言葉を聞かず、私は玄関のドアを閉めた。
振り向くことも無くそのままアパートの階段をリズム良く下り、また帰り道の国道沿いへと出た。病院へ行っていたのがそもそも夕刻近かったからか、既に日は落ち、世界は薄暗い黒色へ包まれようとしていた。
「つまんね」
手に持っていた、半ば強奪してきた缶チューハイのプルタブを開け、勢いよく呷った。橙色から黒色へと姿を変えていく空が目に映り、何故か郷愁的な気持ちに駆られてしまう。
あまりのアルコールの手応えの無さに間違えてジュースを持ってきてしまったのかと思って缶の表記を見ると、アルコール度数4%と書かれていた。5%未満などジュースも同然であり、ああもう少し吟味してこれば良かったかな等とふらふらしながら考えしまう。
でも、あの時私は1秒でも早くあの空間から出たかった。
何かの強迫観念や後ろめたさに怯えながら私の首を絞めていた彼。私の姿を誰かに重ねていたのかは知らないが、その瞳に私が写っていないことは一目瞭然だった。その瞬間に、ああそういえばこいつに好きな人がいるとか何とかサークルで噂になっていたっけ、と思い出した。全てを理解した。私はこの場にいる間は「私」ではなく、「彼にとっての邪魔者」でしかない。
後ろめたさに駆られている奴にセックス紛いのことをさせるほど私も鬼じゃない。だから譲った。いずれ私の代わりにそのベッドに寝そべるであろう女にその席を譲った。逃げたんじゃない。そう言い聞かせるしかない。私はあの時、私が私でいられる場所が消えてしまったことに耐えられなかったのではない、と。
夜になっていく空は陰り出し、人々を照らす太陽は完全にその姿を地平線の下へと隠していた。足取りを進めつつ呷っていた缶チューハイも、残り少なくなってきていることを微かに揺らして確認する。
私は今、存在しているのだろうか。
夜闇に溶かされて消えてしまいたいと願うも、本当に消えてしまうのは怖いという自己矛盾で頭がおかしくなりそうだった。
残量が0になった缶チューハイを適当な自販機のゴミ箱に捨てて私は帰路に着く。この時缶をその道端にポイ捨てしていたら、あの時私が見切りをつけずに強引に続きを要求していたら、あの時電話をかけていなかったら。
それがいけないことだと普通の感覚が残るならいっそ、常識も道徳も自我も全てを切り離して完全にインモラルの世界に行きたい。そう思って、私は今日も生きている。明日もきっと、普通のまま。

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