桜の夢を見た話
こんにちは、みがかそまです。短歌のことやそうでないことを書いていきたいと思います。
この地球には、桜があります。僕の家の近くの公園には、この地球上の桜を全部持ってきたように桜のとんでもなく咲く道がありまして。
ただ桜が咲くのは春ですので、冬にもなればあの咲き乱れる桃色なんか忘れて仕舞ったような随分寂しい様になるわけです。
そして本日僕は、そこに桜が咲いている夢をみたわけです。よく通ります公園には現実よりもやや誇張されたような美しい桜の群れが広がって居りまして、そのいわゆる「絶景」に思わず足を止めて見ていたという話です。
坂口安吾の代表作の一つ、「桜の森の満開の下」でも丁寧に描写されていましたが、桜というのは美しさと同時に、得も言われぬ恐怖感を覚えるといった事が御座いまして。
また桜は良い時期に咲くものです。卒業、入学、進学、進級。人生において一生ついて回る思い出の背景にも、必ずと言っていいほど桜は咲き、散っているのです。
ここらのことから、桜はどうにも「出会いや別れ、喜びと悲しみの春」を象徴するものとなっているわけです。
夢は基本的に自らが求めているものを暗示的に表していると言われます。そんな物ドップラー効果で対して信憑性のないことだとは思いつつ、夢は矢張り己から出た物、一切関係がないとも言い切れないという訳で。さすれば私は春を、して前述の通り出会いを求めているのでしょうか。
生きるためには人が居ることが必要で、楽しみを作るためにも人が必要です。出会いというのは其れ程重要な事だと承知して居ります。
また春そのものが純粋に楽しみでしょうか。花は咲き、華やかになる。世の中が少しだけ明るくなる。
ただ桜に恐ろしさがあるように、春にも別れがある。「旅立ちの日に」で涙を流した人はどれだけいるのでしょうか。
今朝、現実で通学路に早咲きの桜が芽吹いていました。今年度は新型コロナウイルスやらで随分と混乱を極めて居りましたが、時間は回っていく物で
春が近いですね