自己実現ってやばいって話
この世には自己実現というめちゃくちゃ厄介な欲求がありまして。
それがなにか私なりの解釈でいいますと、
自分のできることをしてそれがみんなの役にたつのはめちゃくちゃ嬉しい
ってことだと思うんです。この解釈で話を進めますね?いいですか?いいですね?はい。
具体例をあげます。
○ギャグやったらめちゃくちゃウケた 嬉しい
○掃除を手伝ったら褒められた 嬉しい
○委員会の大仕事が終わった 嬉しい
みたいな感じ。小学生の日記によくある「ぼらんてぃあにさんかした。きもちいい気分になった。」の元ネタ。人によってはこの気持ちが少なかったりする人もいるかもしれませんが。
んで僕は、この欲求の喜び(悦び?)が欲しくて欲しくてたまらなかったんです。物心ついてからずっと
こっから本題です。自己実現のハードルめちゃくちゃ高いんです。理由は二つ
①自分ができることを見つける
②優しくなる
まず①から、これに数万年ほど悩まされてきてるのが僕なのですが、自分が誇れるもの、必要とされる理由を見つけるのは正直めちゃくちゃめんどい。どう転がっても平凡です。これを脱するにはとにかく色んなものをやってかないといけないです。こんなことになります(実体験)
でも、何をやってもできない。努力できれば色んなものが上手くなれるかもしれないけど、努力だって下手。3日坊主。結局努力して、自己実現できてそうな人を羨むばっかり。でも1番怒ってるのはなんもできてない自分。
こんなことになります
つぎ②優しくなる
できることがみつかっても、それを他人のために使うってハードルやばい。というかまず他人のために使う方法がわからない。
するとこうなります(実体験)
〇〇が他の人よりできる。でもその〇〇が他人に役立つ方法がわからない。だから新しいできることを見つけようとする(①にもどる)でももう見つからない。あの人は教えるのが上手いことを生かしてわかりやすい解説してるなぁ自己実現してるなぁ いいなぁ
こうなります
つまり、自己実現はかなり沼です。というか僕自身もなにか自己実現してそうな人をみると死にそうになります。今も。どうでもいい人は心底どうでもいいことに無茶苦茶悩まされています。
でも僕は、
そのままの自分でいいんだよ
という言葉を受け入れられませんでした。だから、
なにをやっても自分を認められない
これが僕の、なんも誰も役に立たない、特技です。短所なんかじゃない。