わたしの「闘病」の定義
サムネはいわゆる「病み期」的な時の過去絵です。内容とはあんまり関係無い
橙景と申します。精神疾患とか色々持ってる人。
一応、このnoteやTwitterなど、「闘病垢」の役割を果たしてくれているアカウントは持っているんですが、現在毎日更新中の「入院中のきろく」含め闘病生活、入院生活らしくないぞ…?と思ったので色々思想とか書き散らしてみます
改めて「闘病」の定義について調べたんですがこうらしい↓
多分わたし、根本的な「闘病」はしてないんですよね。くじけずに〜のくだりはそうかもしれないけど…
どちらかというと「共生」に近いかも。私の持っているもののひとつであるのがADHD。これはそもそも精神疾患というより生まれつきの脳の障害なので現状完治する方法はありません。症状を和らげる薬とかはあるけどね
で、私の場合そこから派生、付随して抑うつや社交不安障害を患っている形になるのでぶっちゃけ「これ寛解むずくないか?」と思ってます。
なので選んだのが共生。
ハンデっちゃハンデだけど、上手く疾患と付き合っていきつつ、なんならどうにかアイデンティティとして勝ち取るまでしたいハングリー精神と共に疾患と共生してます。
治す気が無い訳ではないけれど、かなり長〜い目で見てるので「闘病」よりは「共生」が私のスタンス?ポリシー?に近いのかな…と
あとは疾患があることがまず当たり前、前提として生活して早5年程経っているのもあり、そもそもの認知が多数派の方々と違うのもあると思ってます。当たり前のそれを当たり前じゃなくすって難しすぎる、そういうコト…(?)
少数派の人間だけどもこれが私の「普通」であるゆえ
そんな思想の書き散らしでした。見てくれた方ありがとうございます🦎
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