検閲大国ニッポンの検閲の実態
日本には言論の自由があると思われている。
「かつて、明治政府や戦時中の軍国主義などにより、言論の自由はなかったけれど、アメリカ様が日本に民主主義を芽生えさせてくださり、今では言論の自由が当たり前のように謳歌できる素晴らしい国に日本はなりました!」ということを、多くの日本人は信じているし、筆者の知り合いの大手メディアで働く人でさえも、そうに信じている人はいる。
第二次世界大戦後、日本はアメリカのGHQによって占領下に置かれ、その時にできた「プレスコード」という検閲の制度が未だに生き残っている。
プレスコードというのは、日本政府(当時はGHQ主導)が主導して、「こういうことは書いてはならない」とか、「これはこのように書くように」ということが定められている。
第二次世界大戦後の日本では、GHQはGHQに関する悪い話を全て握りつぶすために、「新聞等の報道は全て真実の内容でなければならないが、GHQが禁止した内容は一切報道してはならない」というルールをプレスコードという制度によって導入された。
これにより、一見、全て真実の報道がなされるのだが、GHQにとって不都合な事実は一切報道されず、そのような事実はないかのような報道がなされるようになった。
GHQはこれを「言論の自由のための検閲」というマジックワードを利用することで、堂々と検閲をするようになった。
GHQによる占領は1952年に形式的には終わったが、「プレスコード」という制度は導入され続け、「プレスコード」は日本政府によって利用され続けることとなった。
GHQの占領が終了してから70年以上が経った2024年現在も、日本の報道機関には「プレスコード」という名の検閲が存在しており、「プレスコード」を違反した報道を行うと、村八分に遭い、報道機関として存続できなくなるという理由により、日本の大手メディアは実質的には厳格な検閲態勢にある。
日本にも多くの人が日本の報道機関の実態を知るようになり、大手新聞社やNHKなどのテレビ局が一部の情報を報道しないことに気付いている。
日本には様々なことについて「プレスコード」が敷かれており、大手メディアは一部の政治家の批判は一切行わないし、財務省の闇には一切触れないし、日航機123便の事件には触れないし、新型コロナワクチンの薬害はタブーであり、安倍晋三暗殺の真相もタブーであり、挙げればきりがないほどの「プレスコード」が敷かれている。
GHQが日本を去ってから70年超が既に過ぎており、GHQの影響力が残っているはずがないと主張する者がいるが、実際にはGHQの置き土産として日本に導入された「プレスコード」制度は、その後のアメリカ政府や日本政府などによって、自分たちの都合の悪い情報には報道しない自由を「プレスコード」という形で行使することによって、日本に残り続けているのである。
言論の自由というのは、ありとあらゆる言論を表現することの自由が認められていることを言い、条件付きで認められる自由は、自由ではない。
検閲大国ニッポンには言論の自由がない。
日本には言論の自由がないのである。