憲法改正の超基礎講座:憲法改正の自民党案は日本を独裁国家にしようという内容である
2012年に自民党が作成した憲法改正案をサイコパス岸田文雄が押し通そうとしている。
「日本を守るためにはアメリカのGHQに押し付けられた憲法ではなく、9条を改正した憲法に変えよう!」と岸田文雄と自民党は説明する。
だが、この説明は大嘘である。
憲法というものがどういうものかという基本を理解した上で、現在自民党が進めようとしている憲法改正がとんでもない内容であるということを説明しよう。
先に結論から申し上げると、現在自民党が提示している憲法改正案(自民党案)は、国民から基本的人権をはく奪し、国の都合によっては国民の基本的人権は蹂躙されることを前提とするというものだ。
更にその上で、戦争や感染症蔓延や自然の大災害などが発生した場合には、緊急事態宣言を発令することによって、内閣総理大臣の一存だけで自由に国民に命令ができるようになり、選挙もストップして時の権力者が半永久的に権力の座に居座ることができるようになるという内容である。
これは、改正される憲法の一つ一つの条文を読んでもなかなか理解できないが、改正される全体像を見ることで初めて、このような内容であることがわかる仕組みになっている。
つまり、自民党案の内容で憲法を改正すると、時の権力者が独裁者となって君臨し続けることになるという、とんでもない内容であり、実質的には憲法改正ではなく、「憲法改悪」、あるいは、「憲法大改悪」というべきであり、日本国の独裁国家化という内容なのである。
それでは以下より、重要な条文の改正内容について、一つ一つ解説する。
①11条「基本的人権」の改正
上記が上記が11条の前段だ。
憲法というものの存在意義は、国民が国家権力から攻撃を受けた時に、弱者である国民の権利を守るために、国家権力を縛るために存在する。現行法でも改正案でも、条文に「誰が」という主語がないが、これは「国家権力である公権力が」という主語が隠れている。
つまり、現行法では、「国家権力によって国民は基本的人権を享有することについて妨げられない、邪魔されない」と定められているわけだが、自民党改正案では単に「国民には人権があるよ」くらいの内容に変えられてしまっている。
国民というのは常に国家権力によって基本的人権を脅かされる危機に直面し続けている。
現行の憲法が「国家権力によって人権は妨げられない!」と強い言いまわしで国家権力をけん制する内容になっているところ、改正案では「国民には人権があるよ」という内容に弱められて変えられてしまうことに、敏感になっていただきたい。
そして、11条の後段では下記のように改正されている。
現行法では、基本的人権が国家権力によって侵すことの出来ない永久の権利として存在するだけではなく、それが現在の国民だけでなく、将来の国民に対しても与えられると規定されている。
つまり、基本的人権は将来に渡って保障される権利である。
これが改正案では「現在および将来の国民に与えられる」という文言が削除されており、将来に渡って保障されていたはずの権利が削除されるだけではなく、以下に説明する97条の削除やその他の人権規定とも併せて、「将来の国民にも与えられる」と唄っていた現行憲法に反する改正案が提示されたということになる。
憲法学の基本を理解しているものであれば、違憲な改正案であることがわかる。
②13条「個人の尊厳・幸福追求権」の改正
まず、改正される13条の前段を見てみよう。
そもそも13条は全ての国民は個人の尊厳を尊重されると定められており、これは個々人がそれぞれ違うことを認めた上で個々人の人格の尊厳を尊重すると定められている。
つまり、一人一人の人間の人格が主体であり、個人が人格の主体として尊重されるということであり、一人一人の個人が大切にされている。
だが、改正によって「個人」ではなく、「人」に言葉が置き換えられている。
この部分だけを見ると、単に「個人」が「人」に変わっただけの印象を持つかもしれないが、他の憲法規定が改正されることによって、「個人」が「人」に変えられるダメージがボディーブローのように効いてくるので、この違いを忘れずに覚えておいていただきたい。
そして、13条では後段が以下のように変更される。
現行法の13条後段は、国民同士の個人と個人の権利がぶつかり合ったときにはお互い我慢して調整することを規定している。
つまり、13条前段で補償されている個人の人格の尊厳は、現行法では「他の人とバッティングしたら、調整するね」という内容になっている。
これは例えば、新しいマンションが建つことで、その隣に住む人たちの日当たりが犠牲にされてしまう場合、新しいマンションを建てたい・住みたい人と、前から隣に住んでいた人たちの利害が対立するというような場合などを想定している。
しかし、改正案では、「公益および公の秩序に反しない限り」、人の尊厳が尊重されるとなっている。
「公益および公の秩序」というのは、国家権力の都合の話であり、国家権力と国民の利益がバッティングした時は、国家権力に従ってもらい、国民の尊厳は制限されるということになる。
これは例えば、日本政府が「コロナワクチンを強制させたい」とか、「LGBT法案を通したい」といった場合に、国の方針が最優先され、国民が反対しても「公益のためだから」とか、「公の秩序のためだから」という国の都合が押し通されるということであり、全く国家権力の制限がかけられていない。
つまり、13条の改正案は憲法の存在意義である、国家権力に制限をかけて国民の人権や尊厳を守るという趣旨が完全に死ぬ内容となっている。
憲法改正によって、一方的に国民の権利が奪われる内容になっており、普通の人ならば、確実にこの改正案には反対するだろう。
それほど悪質な改正をしているのが13条だ。
③19条「思想・良心の自由」の改正
19条ももちろん、思想・良心の自由という国民の権利を侵害することに歯止めをかけるのは、国家権力に対してだ。
つまり、現行法では、「国家権力は国民の思想・良心の自由を侵害してはならない!邪魔してはならない!」という内容であるのに対して、改正案では、「国家権力は国民の思想・良心の自由を保障してあげる」という内容に改悪されている。
そもそも、憲法の背景として、人間には生まれながらにして個々人に尊厳が与えられており、人格を侵害されない自由が生まれながらに与えられていることが大前提であり、国家がそれを与えるといった話ではない。
もともと生まれながらにして個人個人の人間が個別に持っている人格の尊厳というものを国家が勝手に侵害するなという話が、改正案のように変えられてしまうと、「人間はもともと人格の尊厳など与えられてはおらず、国家がありがたくも与えてやって保障してやるのだから、ありがたく思え」という内容に書き換えられている。
まるで、自民党案の19条改正内容は、カルト新興宗教の洗脳のような内容であり、現行法を酷く改悪する内容である。
④21条「言論の自由」の改正
現行法では、表現の自由は一切の制限なく保障されるという規定だ。
しかし、改正法では、「公益および公の秩序」を害しない限りという制限が加えられており、国の都合によって制限されるという内容になっている。
21条と言うのは、国民にとって最も重要な権利の一つである表現の自由であるがゆえに、現行法では制限なしに表現の自由が認められているのである。
憲法で想定している表現の自由は、「AさんとBさんが浮気してる!」とか、「Cさんは〇〇の宗教を信仰している!」といったようなゴシップ的なことを自由に表現することをいうのではなく、政治的な意見を表明することを想定している。
つまり、民主主義社会において、公権力に対して国民が物申すことを自由にさせることで初めて、民主主義を健全に維持することができる。
「増税をやめろ!」とか、「パンデミック条約の中身を開示しろ!」とか、「LGBT法案を廃止しろ!」とか、「政治家は裏金をやめて税金を払え!」といったような、政治的な意見を自由に発言させるというのが、表現の自由を保障することの意味である。
表現の自由は民主主義社会の健全さを守るための最後の砦といわれており、国家権力に対して「おかしいじゃないか!」と物申す権利が保障されているのだ。
最後の砦という意味は、表現の自由さえ守られていれば、おかしな世の中を是正するチャンスが残されるという考えからきている。
国民が国家権力に対抗する最後の砦が、「公益および公の秩序」という国家権力の都合によって制限された場合、国民は国家権力に物申すことが出来なくなる。
つまり、21条の改正案は事実上の民主主義の終了を意味しており、国民は国家権力の言いなりになるしかない独裁体制の始まりを表している。
このような改悪を受け入れる日本人は一人もいないはずだ。
⑤97条「基本的人権規程」の削除!
現行法において、97条が基本的人権を規定している趣旨は、国民個人個人の基本的人権を守ることが最も重要であるため、13条や19条、21条などに規定されている人権規定とは別に、基本的人権の大切さを唄っている。
基本的人権は人が人として生まれた限り、永久に侵すことのできない重要な権利であるからこそ、わざわざ97条が置かれている。
それにもかかわらず、自民党は97条を削除する理由として「11条と重複するから」という理由で平気で削除している。
自民党案は明らかに憲法の存在意義である「国家権力を制限して国民の基本的人権を守る」という趣旨を破壊しようとしている。
このような改悪を許してはならないのである。
⑥新設98条「緊急事態の宣言」!
これが悪名高い緊急事態条項と言われるものである。
緊急事態を宣言できる方法として、「閣議にかけて」決めることができるとされている。
閣議というのは、内閣総理大臣を中心とした大臣で構成されるため、首相に対して反対の意見を述べる者がいないお友達集団である。
そのような者たちが緊急事態の宣言が出来てしまうという、恐ろしいルールになっている。
2項において、「事前または事後に国会の承認を得なければならない」とあるが、事後でも良いため、通常ルールでは国会に掛けずにとっとと内閣が簡単に宣言が出来てしまう内容になっている。
緊急事態宣言が発せられた時の効果には恐ろしいことが書いてあり、次の項目で説明する。
なお、法律の条文を読むのに詳しい人ならば、この条文はまるで憲法ではなく、法律の条文に良くある文章であると気付くだろう。
つまり、本来ならば法律で定められるようなものを無理やり憲法という法律よりも上の存在に、無理やり法律的なものをねじ込もうとしているというように感じるのが自然だ。
⑦新設99条「緊急事態の宣言の効果」!
これが悪名高い緊急事態条項と言われるものの悪夢のような効果である。
1項から4項まであるが、簡単に言うと、緊急事態宣言が発せられたら、①内閣総理大臣は地方に命令できる、②国会承認は事後でよし、③どんな命令でも聞け、ただし人権は尊重してあげるけどね、④衆議院は解散されずに選挙なしに継続可能、という内容である。
法律というものを考えるとき、それが悪用された時のことを考えなければならないのが常であるが、この新設の99条によると、緊急事態宣言が発せられている間は、どんな命令にも従わなければならない上に、選挙なしに独裁体制が継続するということになっている。
つまり、岸田文雄のような独裁者が法律に基づかないあらゆる命令を国民に対して強制することが可能であり、どんなに国民が抵抗しても拒否権はない上に、当該独裁者は選挙なしに永遠に権力の座に居座り続けることができるという内容である。
⑧102条「憲法尊重擁護義務」の改正(旧99条の改正)
何度も繰り返すが、憲法というのは国家権力に義務を課すものであり、国家権力がむやみやたらに国民の権利を奪わぬよう、国家権力に制限をかけるものである。
したがって、憲法によって国民は守られるのであり、憲法によって国民が何か義務を課されたりするものではない。
にもかかわらず、憲法そのものの存在意義を無視して、改正案では国民に対して「憲法を尊重しろ」という義務を課している。
そして、国家権力に憲法擁護義務を削除している。
よって、102条も憲法を憲法ではないものへと改悪していると評価できる。
まとめ
以上の改正内容を簡単にまとめると以下のようになる。
まず11条において国家権力に課されていた国民の基本的人権の擁護義務が「妨げてはならない」レベルから「尊重する」レベルに緩められると共に、現行憲法が保障している「将来の国民」に対する義務を放棄されている。
13条で個人として人格の尊厳の尊重は放棄させられ、これまでは国家権力の都合によって国民の生命や自由や幸福追求権は制限されことはなかったのにも関わらず、改正によって制限されるようになってしまうのだ。
19条では思想・良心の自由は絶対的な不可侵の権利であったにも関わらず、改正によって、単に「尊重される」程度のものに貶められている。
21条の表現の自由も絶対的な不可侵の権利として保障されていたが、改正によって国家権力にとって都合の悪い表現の自由は認められないという扱いになってしまっている。
さらに、97条で基本的人権は国民が有する侵すことのできない永久の権利であると、基本的人権の大切さを再確認する規定があったにもかかわらず、これが削除された上で、98条と99条で緊急事態条項が追加され、緊急事態宣言がなされれば、国民は独裁体制を受け入れて従わなければならないという内容である。
以上より、現在の自民党案による憲法改正案は国家権力を強め、国民の権利を奪う内容であり、国民にとって改正する利益はゼロであり、害悪しかない内容となっている。
国民を蹂躙することにかけては、躊躇なく実行するサイコパス岸田文雄が現行の憲法改正案を推し進めている理由は、岸田文雄が憲法改正によって独裁者となれるからに違いない。
このような憲法の改悪は絶対に許してはならないのである。
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