国際政治経済のトリレンマとは

先日、国際金融のトリレンマを解説した。

先の記事で詳細に解説したので詳細は省くが、トリレンマとは3つのうちの2つを選ぶと残りの1つは選べなくなる、逆に言うと、何かを優先させるために3つのうちの1つはあきらめなければならないというものである。

これは国際政治経済政策においてもトリレンマがある。
国際政治経済におけるトリレンマでは、①グローバル化(国際経済の統合)、②国家主権(国家の自立)、③民主主義(個人の自由)という3つの政策目標・統治形態のうち、一度に2つまでは達成・実現できるものの、3つ全てを実現することはできないことをいう。

まず、われわれにとって最も重要な個人の自由である③を実現することを最優先させたとする。
個人の自由が実現されない社会というのは個人の人権が守られない前近代的な状態であるので、われわれにとっては③の実現は不可欠のものだろう。

個人の人権(③)を維持した場合、国家の政治運営を各国単位にするのか(②)、グローバル単位にするのか(①)、どちらかしか選べないというのが最初の議論だ。
この議論の前提は各国単位で一般人の思考が統一しているという謎の前提が必要となるのだが、それを受け入れたとして、異なる国同士の一般人では統治に対する考え方が違うと考えている。
そのように考えると、各国単位での自由な政治運営を実現しようとするとグローバルで見ると一致させることはできず、逆にグローバルで政治体制を自由に決定しようとすると、各国ごとに異なる政治体制を取ることは不可能となる。

そして、各国単位で自由な政治運営を実現し(②)、その上でグローバル統一政府を実現すると(①)、個人の自由がないがしろにされるために個人の自由が実現されない(③)というものだ。

さて、これを聞いて違和感を持っただろうか。
そう、かなり無理がある理論なのだ。
そもそも一つの国単位でさえ、個人の自由を実現した上で(③)、自由な国家運営(②)をするというのが、そもそもファンタジーすぎるのだ。
だが、グローバル化の実現(①)と自由な国家運営(②)を実現した場合には、個人の自由が達成されることはない(③)という結論を示しているというのは興味深い。
そう、現在の日本の岸田政権やアメリカのバイデン政権、フランスのマクロン政権などの政権が積極的に進めているグローバル化の実現と(①)、各政権の自由な国家運営を実現すると(②)、われわれ国民の個人の自由は実現されないという結論を示している。

われわれ一般人が受け入れられないグローバル化を拒絶する理由として、国際政治経済のトリレンマを持ち出すのも面白いだろう。

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