いつものマスコミによる炎上祭りが始まり、問題の本質は忘れ去られようとしている
連日、マスコミ報道の半分以上は安倍元首相の国葬と実行犯に関係する宗教団体の異常性になっている。
マスコミのこのような放送内容パターンはいつものお家芸で、常に涙を煽り、スキャンダルをえぐったり、ゴシップを楽しんだりするだけで、問題の本質には決して切り込まない。
安倍元首相の死を悲しむのは良い。
歴代総理の中で最長の期間、様々なことに尽力してくださったことを思えば、まだ我慢ができるが、この期に及んで、モリカケ問題を蒸し返すメディアも少なくない。
最も許せないのが、実行犯の家族が所属する宗教団体のカルト性についてのゴシップ記事で広告料を稼いでいるところだ。
確かに筆者はカルト宗教が嫌いである。
統一教会はどういった宗教かを良く知らないが、幸福の科学のようなカルト宗教の代表は、「お布施」という形で宗教団体に多額の寄付をすればするほど「信仰心が高い」という謎の評価基準を置かれ、家を破産させるまで「お布施」をすることになる。
まるで、「私はあなたの事を愛しているのよ、だからボトルを入れて頂戴♡」といって、じゃんじゃんボトルを入れさせるキャバクラ嬢とカルト宗教は何が違うのだろうか?
筆者は特定の宗教はほぼ全て嫌いである。
それは必ず詐欺的要素が加わっているからだが、基本的に神道の教え、仏教の教え、聖書の教えなど、それらすべては哲学書の一つとして価値の高いものとして尊敬の念を置いている。
だが、カルト宗教はほぼ信仰のところで詐欺行為を行っている。
だから、恐らく統一教会も内情を知れば嫌いな宗教にはなりそうだ。
だが、それをもって彼の人格や信条、信仰など、ありとあらゆるものを攻撃して良いことにはならない。
日本国という国が民主主義国家という形態をとっており、個々人の別の個人としてそれらの違いや個性を尊重した上で、人格や信条、信仰などをできる限り尊重し、その自由を侵害しないというのは、日本国憲法の最も重要な精神なのだ。
それを無視して、他人を攻撃することは許されない。
それが許されては、もはや日本は法治国家ではない。
仮に彼が犯罪を犯したとしても、それは彼が犯した犯罪行為について罪を問い、しかるべき刑罰に処すべきであり、彼や彼の家族などがそれ以上の攻撃をすることは日本国憲法の精神に反する。
そもそも、そういった精神は日本国憲法に現れている以前に、日本人が日本人たる精神に、魂として受け継がれているはずだ。
日本のマスコミの大半は実は記者も含めて外国人が大半を占めていると聞くが、正にこのような誹謗中傷祭りは、日本人のすることではない、と筆者はつくづく思うのである。
そして、本当に見直される社会的問題、このような事件が起こった根本的な問題については一切議論されることなく、闇に葬られるのだろうなと思う次第である。
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