読解『おもひでぽろぽろ』 part 6 分数ができないタエ子と結婚したリエちゃん
■蔵王デート 分数ができないタエ子と結婚したリエちゃん
現在:山形
タエ子とトシオが蔵王へデートへ行くことになる。トシオがタエ子をドライブに誘ったあと、言葉を付け足す。
トシオの家系が分家なのだ。本家にお世話になっているタエ子を誘うのに許可がいるのだ。いや、少なくともトシオはその許可が必要だと思っている。
山形の農家の中にも”本家”と”分家”という”あちら”と”こちら”があることになる。トシオはその境界を無断で越えてはいけないものと認識しており許可をとるのだ。手続きを踏んだ。
無事、蔵王に到着。カフェでのトシオとタエ子。トシオがおもむろに口を開く。
結婚しないのは普通じゃないと思ってるのでトシオはこう聞く。普通のことだったら質問しない。(「なして結婚したんですか?」とは”普通”聞かない。「結婚したのか?俺以外のヤツと…」と言う場面でしか聞かない。)
それを聞いたタエ子は、結婚しないとおかしい?と聞き返す。今は仕事をする女性も多くおかしいことではないと続ける。トシオはそれを聞いて解せない様子。
タエ子はイラつき気味で「それが当たり前」と言う(言い過ぎ!)。東京では当たり前。田舎での当たり前を持ち出すな、と。「女性は結婚するもの」というステレオタイプな”女”のグループに入れられることを拒絶している。(生理の拒絶)
タエ子は唐突にある話題を始める。
意図が飲み込めないトシオにタエ子は持論を展開する。分数の割り算(分子と分母をひっくり返して計算する)が、教師の言われた通りにすんなりできた人は、その後の人生もすんなり行くらしい、と。再び小五の時の記憶を呼び出して話を続けるタエ子。
リエちゃんは算数が苦手だったのに、分数の割り算は言われた通りにやって100点。その後素直に育って今や2児の母だ、と言う。リエちゃんは生理の話に出てきましたね。タエ子にとっての女の中のさらに”あちら”側。
タエ子はこの時「分数ができた人」という”あちら”のグループを作り出している。そして、自分は”あちら”の中の人間ではないのだと。
つまり、自分の人生はすんなりいってない、と。リエちゃんはまた女の”あちら側”にいる。ここで注目なのは、タエ子は「すんなりいった人生」に「結婚」を結びつけている、ということ。
”女は結婚するもの”というグループに他人の勝手で自分が押し込められるのを拒絶するのに、”分数ができたすんなり人生の人”というグループに自分の勝手で他人を押し込めることは厭わない。ここがタエ子の甘っちょろい所(そしてそれは人間の甘っちょろい所)。
タエ子はこぼすように言う。
ダメだったのは分数の割り算か、はたまた結婚して母になることか。答えは「どっちも」でしょうね。分数も結婚もタエ子の”あちら側”。
過去:東京 10月ごろ?
分数の割り算で25点をとったタエ子。母はヤエ子に勉強を教えてもらいなさいと言う。タエ子の答案をみたヤエ子は騒ぎ立てて台所の母の元にいく。タエ子の頭がどうかしたんじゃないか、と。普通じゃない、と。母がしつこく聞くヤエ子につい声をあげる「だから普通じゃないのっタエ子はっ」。台所にやってきたタエ子がその発言を聞いてしまう。
タエ子は今まで自分がいると思っていた”こちら”普通から自分がはじかれてしまった。
結局ヤエ子に勉強を教えてもらう。タエ子は分数を分数で割るということがよくわからないという。リンゴを分ける例え話でヤエ子に質問する。
「2/3を1/4で割るってことは、2/3のりんごを4人で分けるってことでしょ?」
ヤエ子それを聞いて「うん…?」と頭にハテナを浮かべながら肯首。タエ子の理屈だと答えは1/6になる。それを聞いてやっと「それは掛け算」だと訂正する。ヤエ子は分数の割り算をリンゴで説明しようとするが、言葉に窮してしまう。果たして、とにかく分母分子をひっくり返してかければいい!と怒鳴る。
場面変わって。
母、ナナ子、ヤエ子がヒソヒソ秘密話(”あちら”の内側の話。女子トイレの密談)。話題はもちろんタエ子の成績の悪さだ。タエ子は別の部屋でその言葉を聞いている。タエ子は今”普通”じゃないので姉たちが秘密の話をしている”あちら”に入れてもらえない。タエ子は怒りに任せてリンゴを分割しまくる。
分数の割り算ができる”あちら”の人ヤエ子は、その芯まで理解しているわけではなく、とにかくこうする、という手順で行っていた。分母分子はひっくり返すことは当たり前=それ以上追及しない所となっている。
タエ子はその当たり前を受け入れられないので”普通じゃない”こちら側、分数ができない人のグループに入ってしまう。
きっとその当たり前を受け入れられれば、分数の割り算ができただろう。「女は結婚するもの」という当たり前を受け入れられれば、結婚ができただろう。当たり前を受け入れれば”あちら”に行けただろうに。
この時、タエ子は”あちら”に拒絶される経験をしたのだ。そしてその拒絶はタエ子が望んでのことではないのだ。
ちなみに「当たり前を受け入れる」というのは数学に立ち向かう上で重要な態度である。数学では証明を要さずに他の主張(命題)の前提になる根本的な主張を公理という。公理が正しいものとして、当たり前に成立するものとして計算を展開していく。タエ子の”当たり前議論”に、算数が題材として上がってくるのは必然だともいえる。分数の割り算は特に形式的な思考の発展を要求してくる。
現実:山形
タエ子の分数の思い出話が終わると、トシオが唐突に有機農業の意義を語り出す。東京の後追い、長い物にまかれるばかりじゃなく、自分たちのやっていることを今一度立ち返って昔ながらの農業をすべきだ、と。
びっくりしたタエ子が合いの手を入れると、トシオが笑い出す。どうも、先輩の受け売りの言葉を真似して喋っていたらしい。トシオはタエ子が分数の当たり前に疑問を呈していたことを大事にしてるのはえらいことだと言う。
トシオはまたここで”あちら”の同化をしている。タエ子の分数の話を”自分ごと”の農業の話と同じものだとしている。だから、トシオは先輩の言葉を思い出し、それを真似して(形から入って)語ってみせる。
タエ子は分数の話はそんなに真面目な話じゃない(”違う”)と言った後、トシオが仕事について意見を持っていることについて”感心”の意を述べる。
すると今までタエ子に対して友好的だったトシオが笑って牙をみせる。
「それって皮肉ですか?」
タエ子の言葉はトシオには「そんなに考えなきゃいけない仕事してるんですね」という皮肉に聞こえたのだろう。斜陽な農業の中では考えずにいられないとタエ子に話す。タエ子の周りにはそう言う人はあまりいない、と言う。トシオのような仕事への態度はタエ子にとっての当たり前ではないので”感心”するのだ。(他者への憧れ、田舎への憧れ)
仕事について考えるのはトシオにとって当たり前である。なのでそんなことをわざわざ褒められても嬉しくない。それどころか気分を害するのだ(例えば「ご飯食べられるんですか?すごいですね?」という言葉を皮肉以外に受け取れるだろうか?)。
この後、スキーの話になる。トシオは冬にスキーの指導員のバイトやっているという。タエ子が指導員という言葉に反応して上手なんですね、と”感心”する。トシオは指導員なんて仲間にいっぱいる。大したことない。とやや嬉しそうに笑う。
この時、トシオは指導員なんてここらじゃ当たり前と言いつつ、冬にタエ子を誘う手段として使っている。大したことないと言いつつ褒めてもらい惚れてもらいたいと言うのが男心(でしょう?)。
先ほどトシオが「皮肉ですか?」と言った時と同じ構造の別の効果がここで現れている。
仕事の当たり前へのタエ子の”感心”がトシオにとって皮肉
スキーの当たり前へのタエ子の”感心”はトシオにとって嬉しい手応え
この二つの状況はやはり、それぞれの当たり前が非対称だからこそ起こる状況なのだ。当たり前が違うと言うことはやはり二人はまだ”あちら”と”こちら”なのである。
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