意味のないことに全力で取り組む意味
私の趣味はアイドルオタクである。学生時代、研究の隙間時間を見つけてはライブ会場に足を運ぶ生活をずっとしていた。ある日、オタク活動にあまり理解のない友人に「オタクってやる意味あるの?」と聞かれた。確かに、オタクは一時の幸福感を得るために自分の時間と稼いだお金を費やすだけで、オタク活動をすることによって何か生まれるということはほぼない。しかし、このような意味のないことに全力をささげることは、本当に意味がないのだろうか。私はそうではないと考える。
元々意味のない行為であったが、誰かがそれに対して全力で取り組んだことによって、大きな意味を持つようになったということは実際にある。例えば、スポーツが挙げられる。スポーツは元々、イギリス貴族の娯楽であった。それは、楽しいという感情を得るため以外の目的で行われることはなく、私が没頭しているオタク活動と同じように、スポーツをすることで何かが生まれるということはなかった。しかし、このスポーツに全力で取り組んだ人が過去にいた結果、スポーツに教育的な価値やビジネスとしての可能性を見出すことができた。そして現在では、スポーツは様々な意味を持つものに発展した。このように、意味のないことに全力で取り組んだ結果、それがやがて大きな意味を持つものに変化するという突然変異が起こるのである。
私が行っているオタク活動も、私自身の中という限られた範囲ではあるが、大きな意味を持つものに変化していった。元々は、推しメンに会いたいという気持ちだけでライブ会場に足を運んでいた。そして、ライブ会場に足を運ぶにつれて、オタクの友人がたくさんできた。彼らと関わるうちに、オタクや熱狂的なファンの行動はいまいち訳が分からないが、この「訳の分からなさ」が非常に面白いと考えるようになった。そのような中で、人文科学研究のフィールドワークという研究手法に出会った。これは、実態がいまいち分かっていないことを対象に、よく分からないことが行われている現場に足を運び調査を行うという研究手法である。この研究手法を使えば、オタクや熱狂的なファンを学術的に研究できるのではないかと私は考えた。これが、私がファンの学術的な研究を始めるきっかけである。現在は、ファンを題材にした修士論文を執筆しており、オンラインファンクラブ事業を行っている企業への就職が決まっている。このように、最初は意味がなかったオタク活動も、全力で取り組んだことによって、私にとって大きな意味を持つものになった。
短期的な視点から物事に意味を見出そうとすると、多くのことが無意味に思えてしまうかもしれない。しかし、その意味のないことに全力を注ぎ続けた結果、大きな意味を持つものへと変化するということは多々ある。これからも私は、意味のないことに全力を注いでいきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?