家族になろうよ(笑) 24.6.9
母が上京してきた。
久々、親子揃って近所の焼き鳥屋に行った。
鶏肉よりも、なぜか鯖の燻製が美味しかった。
私と母の舌は似ていて、母も同じことを言っていた。
こういうところで血筋を感じる。
やっぱり酒には燻製なのだ。
ふいに焼き鳥屋で母が口にした。
「あなたの育て方が合っていたのか、正直なところ分からない」
愛情という点において、母は絶対だった。
異性と恋愛をするようになって、私の感じた戸惑いの多くは、
もしかすると母から私に与えられてきた愛情との「差異」だったかもしれない。
母は私のことをよく認め、よく許し、そして、よく対話してくれた。
私は、それをおそらく異性にも求めていた。
私のセンス、マインド、スタイル……すべてを愛して欲しかったし、
私の多少の失態は「しょうがないね、ハニー」なんていって、
笑い飛ばして欲しかった。
日常の取るに足らない出来事を共有して、家族になりたかった。
そう、家族になりたかったのだ。
10代後半から20代前半の男の子たちに対して、
あまりにも酷なことを強いていたと、今さらながら思う。
恋人と家族と、その間の愛情にはグラデーションがあって
(ゆくゆくは家族になるとしても、それは徐々に変化していくはずのものだろう)、
きっと恋人だから許せることも、恋人だから許せないこともある。
逆も然り。
それを雑に「愛情」という言葉で括って、
あれが欲しい、これが足りていないとあげつらうのはナンセンスだ。
母が私のセンス、マインド、スタイル……すべてを愛してくれたのは、
それが形成されるに至る手ほどきをしたのが
紛れもなく、母自身であったからだろうし、
多少の失態を許してくれたのも、
許していたというより「親の責任」だったからだと思う。
日常の取るに足らない出来事を共有するのも、
既に家族という関係値のなかにあったからだ。
恋愛は楽しい。
けれど楽じゃない。
その楽じゃない、のなかには、
母が持ちうる限りの愛情を注ぎ込んでつくった私を「壊す」過程に伴う、
苦しみや悲しみがあったような気がする。
(余談だけれど、"身体を許す"という表現に、
なんとなく罪のニュアンスがあるのは、もしかすると、
母から生まれた私の身体を、母の知らないところで、
勝手に誰かに委ねてしまうことにあるのかもしれない。
最中にそんなことを考えたことはないけど)
母が私に「かくあるべし」と説いてきたセンス、マインド、スタイル……を、
同年代の男の子たちは案外あっさりと、無邪気に否定した。
私はその時々で、男の子たちの意見に従ったり、抗ってみたりした。
目の前の男の子のことも、母のこともちゃんと大事だったからだ。
抗った末に、収拾がつかなくなって、お別れしたときは、
数日部屋に引きこもって、それから母の手料理を食べた。
やっぱり母は絶対的な自分の味方で、
ゆえに、いつかは乗り越えなくてはならないもので、
だから私は恋人の有無をあんまり、母に知られたくない。
そんな母に「あなたの育て方が合っていたのか、正直なところ分からない」と言われたのは、かなりの衝撃だった。
沈黙する私に、母は続けた。
「あなたは、詩人だったのよ」
たしかに、私は幼い頃、(自称酒場詩人だった)祖父の影響で、ポエムめいたものをせっせと書き綴っていた。
祖父に褒められるのが嬉しかったのかもしれない。
「あー、小学生の頃、詩を書いてたね」
「そうじゃなくて」
「…………?」
「あなたは高校生くらいのときから、活字の人になったのよ。世界を活字で捉えるようになった」
“正直なことを言うと、自分のクリエイティブな才能は高校生のときがピークだった、と思う。
いまは、その残りカスを燃やして、何とか走ってる感じで。”
と、内心思っていた私は、母の言葉にギクリとした。
ずっと、誰にもバレていないと思っていた。
母の言葉は抽象的で、観念的で、掴みづらいけれど、
何となく自分の実感と照らし合わせてみると、分かる。
私も、高校生の頃までは、抽象的で観念的な「詩」の世界にいたのだ。
母と同じ世界に。
私は、私の見ている世界を誰とも共有できないと思っていた。
私は、私の内で渦巻く感情を誰とも共有できないと思っていた。
共有できないなりに、表現しようとしていた。
孤独な詩人だった。
だけど、いつしか、世間のひとがどのように世界を見て、
どんな時にどんな感情を抱くのかを知った。
世間一般の眼差しに、自分も順応していった。
自分の内にある感情を、分かりやすく言語化することもできるようになった。
孤独でいることがつらくて、たくさん本を読んだからだと思う。
今、世の中のたいていの物事は言語化できてしまうし、
逆に言えば、言語化できる物事しか、私の目には映らなくなってしまった。
愛する堂本剛(愛さない堂本剛などいないが?)が結婚した日、私はこんなことを呟いていた。
失恋の痛みで少々手厳しいけれど、
これはわりと本質的なことを言い表している。
私は、言語化できないものを感じ取ることができて、
それを言語化しないままに伝える才能を持つ堂本剛のことを、
だからこそ愛して、憧れて、嫉妬していたのだ。
私は15歳のときに堂本剛に恋をして、「このひとになりたい」と思った。
孤独な詩人に戻りたかった(ついでにイケメンになりたかった)。
つくづく、ないものねだりだとは思う。
母がそんな私の変化を感じ取って、「もったいなさ」のようなもの抱いているとしたら、
私にだって、少しくらいは残念な気持ちがある。
だけど、私はもう24歳で、奇しくも"世間一般の眼差し"と"言語化能力"で飯を食っている。
孤独な詩人(=特別)ではなくなってしまった私を、なぜか好いてくれる男の子だっている。
その男の子も、孤独な詩人ではないし、
なんなら、家の炊飯器にトイレットペーパーの芯が突っ込まれていたりもするけれど、
俗物的な生き方を一緒に楽しめる、素敵な恋人だ。
私はいつの間にか母から遠く離れたところで、幸せに生きている。