しっかりと好感の持てる容器に。
「競技から引退した後、自分には何が残るか?」
ここ数年、ずっと考え続けてきた問いだ。
引退して2ヶ月。ほとんど全てのリソースを競技に注ぎ込んできた自分に何が残っただろうか。
キャリアという観点で考えてみよう。
プレス工業陸上部では、ある程度業務を任せていただきながら、競技をする環境を整えてもらっていた。(あまり好きな言葉ではないが)デュアルキャリアを歩んでいた形になる。つまり、片方のキャリアが閉ざされた今、もう一方のキャリアが残った。
一方で、競技からの「学び」が残ったとも言える。
「そんなに長く競技に携わっていたら競技から得たことも沢山あるだろう」と色んな方に言っていただける。確かにそういう部分はあると思う。むしろ、学びを削り出してきたおかげで、ここまで長く競技を行ってこれた。ある種の処世術を身につけたとも言えるかもしれない。(例えば、いかに足の痛みを無くすか、とか)
だが、そこから得た学びは、どこか別の場所に転用しなければ意味がないとも思っている。今、具体的にそんな場所は思いつかない。正直、競技で学んだ「点」と別の「点」を結ぶことは現段階ではできないでいる。
では、そのほかに何が残っただろうか?
そこまで考えて、“中身が空っぽな「容器」が残った”と言えるかもしれない、と思い立った。
先日、Voicyフェスという音声配信イベントで行われた対談を聴いた。その中で安宅和人氏は次のように言った。
この言葉を聴いて、僕は村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を想起した。あらすじは割愛するが、アイデンティティを失った多崎つくるは、ある人からこんな言葉を掛けられる。
僕は少なくとも「自分の足を速くするということ」について真剣に考え続けてきた。その構造を深く知ろうとした。空回りしても、時々立ち止まりながら、20数年走り続けてきた。
そうやって得た数少ない歓喜や高揚などの感情や、因果を確信した思考の過程を、自分の「容器」にきちんと受け止め続けてきた。安宅氏の言葉を借りるなら、僕にとってはその瞬間瞬間が間違いなく幸せな時間だった。
そうやって作り上げてきた「容器」は自分の中に残ったのだろう。言い換えるならば、自分なりの感性を育ててきたと言えるかもしれない。
今はその容器の中に何も入っていなくても。
これからは走ること以外に「自分の好きだと思えること、自分が理解したいと思えること」を自分の「容器」に入れていけばいいのだと思う。
それと同時に、これからも自分自身が好感を持てる「容器」に磨いていけばいい。
今はそんな風に思っている。
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