きっと僕はスポーツから贈与を受け取ってきた
今まで僕は選手として20年以上走り続けてきた。そうして今も走り続けている。
どうしてそこまで夢中になれるのか。その理由は自分でもよく分からない。
きっとスポーツには何か不思議な力があるのだろう。それにスポーツ(陸上競技)によって、僕という人間のほとんどが形作られてきたような気がする。
では僕が「スポーツから受け取ってきたもの」とは何なのか。
今回はそれを「スポーツの2つの側面」に分けて考えてみたいと思う。
スポーツと「ゲーム」
スポーツには自分の身体に対して何かの選択をする「ゲームのような側面」がある。
プレイヤー(選手)たちは、モチベーションというチケットでこのゲームに参加している。パフォーマンスが高いプレイヤーはこのゲームがとても上手い。それ以上でも、それ以下でもない。
トレーニング内容の選択。
何を食べるかという選択。
どう休むかという選択。
雰囲気の先にある、選択。
意思の先にある、選択。
衝動の先にある、選択。
戦略の先にある、選択。
主体的な選択。
受動的な選択。
決めないという選択。
その選択が、今の自分にとっての正解ならば良い結果を生み、今の自分にとっての不正解ならば悪い結果を生む。その結果の積み重ねがパフォーマンスとなる。
きわめてシンプルなルールだ。
残念ながらこのゲームの攻略法は多くない。人間の身体は変化し、正解も変化し続けるからだ。それに加えて個体差もある。だから、正解を選び続けることは非常に難しい。
そこに魔法はない。
そこには正解と不正解しかない。
そこには勝者と敗者しかいない。
幾度とないリプレイから僕が受け取り続けてきたのは、ケガや不調という容赦のない制裁と、その時に選ばなかった選択の中にこそ正解があったという事実だ。
だから次は正解を選べばいい。そうすればこのゲームの流れが変わるはずだ。僕は本気でそう思っている。
しかし、その一方でスポーツは内的な自己完結の「ゲーム的な側面」とは違った、他者との繋がりを持つ「贈与的な側面」を併せ持つ。
「贈与」とは
近内悠太氏は「贈与」の概念を「誰かが必要としているけれど、お金で買うことができないもの、及びその移動」と定義した。贈与はあくまで受取人の想像力から生まれる。また、それは交換を前提としたものではなく、一方通行のリレーから生まれるとした。
誰かから贈与を受け取ったと想像する。
↓
その人は「贈与の受取人」となる。
↓
受取人は、“不当に受け取ってしまったものを誰かに届けなければならない”という使命を帯びる。
↓
他者へ贈与しようと行動する。
(その行動によって、逆向きに、生きる意味ややりがいを与えられる)
↓
その行動から贈与を受け取ったと想像する人(=新たな「贈与の受取人」)が生まれる。
(結果として、贈与しようと行動した人は「贈与の差出人」となる。)
このような無数の「贈与のバトン」によって世界の隙間は埋められていく。
スポーツと「贈与」
きっとスポーツはそんな「贈与的な側面」を併せ持つ。
多くのアスリートが試合後のインタビューで口々に感謝を伝えるのは、自分が「贈与の受取人」だと自覚しているからだろう。
アスリートは「自分を支える人」から受け取った贈与をパフォーマンスという形で返したいと望む。
そして、そんなアスリートが戦う姿を観て、心を動かす人がいる。
その人は、アスリートやアスリートと共に戦うチームメンバーに自分を重ね合わせる。アスリートの勝利を自分のことのように喜び、敗北を自分のことのように悲しむ。瞬間のプレーに興奮し、プレーの裏側にあるストーリーを想像する。
そんな風にして、その人の中に眠っている様々な感情や熱量を開放させる。その瞬間、その人は新たな「贈与の受取人」となる。
このように、多くの人から受け取ったバトンは、スポーツ(アスリート)を通して、より多くの人へ繋げられる。そんな「贈与の装置」としての機能がスポーツにはきっとある。(あるいはそれが、社会に競技スポーツが必要な理由と言えるかもしれない)
僕がスポーツから受け取ってきたもの
考えてみれば、僕はスポーツから何度も容赦のない仕打ちを受けてきたような気がする。それでも、このゲームに参加し続ける選択が出来たのは、きっと周りの人たちから既に「贈与」を受け取ってきたからだろう。
家族、先生、仲間、知人にいつも助けられてきた。多くの人が携わる学校、会社、実業団に支えられ、成長させてもらった。多くの人の尽力によって成り立つコンテンツ(インターハイや箱根駅伝など)から多大な影響を受けた。コーチ、マネージャー、トレーナーからいつも献身的なサポートを受けてきた。ライバル達から多くの刺激を受けてきた。沢山の応援から力を貰ってきた。
僕はそうやって受け取ってきた贈与をあくまで自分が納得する形で返したいと思う。
最後までお読み頂きありがとうございました!いただいたサポートは本代に使わせていただきます。