結局はじぶんのため

世のため、人のため、家族のため。誰かのためと人は言う。私の先輩にもそのような人は多いが、それって結局は突き詰めると自分のためではないだろうか。世のため、誰かのために貢献したその先に待っているであろう賞賛や、満足感であったり優越感を求めているのではないだろうか。そこまで言わずとも、誰かの力になったときにその人が笑顔になってくれた時の喜びや幸福感のために頑張る、というのも自分のためではないだろうか。
 これは私自身の反省であるのだが、大学で部活をやっているときに後輩たちのためと言って活動してきたが、そうすることで後輩たちの力になっているという実感が欲しかった、という本心がそこにはあったように思える。それに気づいてからはすべて自分事として頑張ることが出来るようになった。元々は誰かのために頑張りたい、と言っているような私だったが、それは自分事にしないことで責任から逃れるための言い訳だったと解釈をしている。

 そんな経緯を経ている私としては、他のメンバーと一線隔てるような発言をする人であったり、メンバーのためという発言は信じるに値しないと不信感を強めるきっかけになってしまっている。これは新卒で入社した会社でお世話になった先輩方が、役職はあくまで役割の違い、とか先輩なんだから知識が多いのは当たり前で後輩に教えてあげるもの、という考えを持っている方たちだったことも影響している。だから、他の人にすごいと思われたいとか、教えたら追い抜かれる、というようなセコイ考えがちらつくと、なんだかなぁと思ってしまう。メンバーのため頑張った結果、得られる賞賛が欲しいのか、それとも、メンバーが喜んでくれる結果が得られることがうれしいのか。それは口に出さなくても、普段の立ち振る舞いや仕事ぶりに表れている。もし誰かのため、というのであれば前者なのか後者なのか見極めることを強く進める。でなければ、あなたは「あなたのために言っている」という嘘くさいセリフにでさえ騙されることになるだろう。

 そして最後に、誰かからまた聞きした情報ではなくて、自分の目で見極められる目を養っておいた方がよいだろうと付け加えておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?