足尾探索記 (香風音視点) 5
初めましての方 初めまして。
前回の記事を読んでくださった方 こんにちは。
香風音(かふぇいん)です。
先日、足尾エリアを探索してきましたのでその様子を紹介したいと思います。前回は通洞駅に着くまでをやったので今回はその続きです。
さあ足尾銅山に向かおう。
通洞駅のロータリーを出て直ぐ。足尾町分庁舎と書かれた建物を見つけた。ふと見てみると足尾銅山観光割引券有ります。と書かれているではないか。これは貰わない選択肢はあるまい。早速、突撃!駅前の分庁舎である。
分庁舎の中は涼しい。久々に人工的な冷気を浴びた。土産物も販売していた。奥には老婦人が二人。私達を温かく迎えてくれた。その老婦人の方を見ると市民会館にあるような合皮のベンチの上に座布団が敷かれたものが数脚、机を囲う様に配置されていた。壁には渡良瀬川の流れる様子を描いたと思われるタイルアート(というべきか…?)がパブリックホールないし市民会館の様な雰囲気を醸し出す。嘗ての足尾地区の繁栄の様子を描いた絵画が飾られていた。その絵画はその老婦人が描いたというのだ。私達が足尾本山から歩いて来たことを伝えると半分驚きつつ氷を入れた冷たいお茶を出してくれた。若干、塩っぱいようなお茶は五臓六腑に染み渡る。今思い返してみると味はグリーンダ〇ラに近しい味だったかもしれない。さらにお菓子も出してくれた。ありがたくいただき多少の雑談などをした。やはり、その時代を生きた人の証言は貴重であり非常に興味深く傾聴させていただいた。
幾らかの雑談の後、銅山観光の割引券を頂戴した。謝辞を述べ人情に触れ、気力も体力も完全回復した私達は足尾銅山に向かう。
足尾銅山観光の門までやってきた。機関車に乗っかっているキャラクターはまるで一昔前の3Dアニメの様だ。5億年ボタンを思い出す…。
さてここらで足尾銅山の基本的な歴史等を紹介しておく。
足尾銅山とは
足尾銅山とは栃木県日光市足尾地区にある銅山のことだ。足尾銅山跡として国の史跡に指定されている。足尾銅山は1550年に発見された。1610年に鉱床が発見され、江戸幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されることになった。幕府は足尾に鋳銭座(今で言う所の造幣局)を設け、銅山は大いに栄え、足尾の町は「足尾千軒」と言われる発展を見せた。採掘された銅は日光東照宮に使われた他、寛永通宝が鋳造された。
寛永通宝。足尾銅山見学後に購入した足尾銭。
裏面には足とある。足尾銭である何よりの証拠だ。
江戸時代にはピーク時で年間1,200tもの銅を産出していた。
その後、採掘量が極度に減少した。その為、幕末から明治時代初期にかけてはほぼ閉山状態となっていた。1871年には民営化されたが、銅の産出量は年間150tにまで落ち込んでいた。
1877年に古河市兵衛は足尾銅山の経営に着手したが数年間は全く成果が出なかった。しかし1881年に鉱脈を発見。探鉱技術の進歩により次々と鉱脈が発見された。古河市兵衛の死後、1905年3月に古河鉱業の経営する鉱山となった。明治政府の富国強兵政策を背景に、足尾銅山は久原財閥の日立鉱山、住友家の別子銅山とともに急速な発展を遂げた。20世紀初頭には日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長した。
しかしこの鉱山開発と発展の裏では、足尾山地の樹木が坑木ないし燃料の為に伐採され、掘り出した鉱石を製錬する過程で排出される煙が大気汚染を引き起こしていた。荒廃した山地を水源とする渡良瀬川は洪水を頻発し、製錬による廃棄物を流し、足尾山地を流れ下った流域の平地に流れ込み、水質汚染ないし土壌汚染などの公害を引き起こした。所謂、足尾銅山鉱毒事件だ。1891年、田中正造による国会での発言により1890年代より鉱毒予防工事や渡良瀬川の改修工事は行われたものの、鉱害よりも銅の生産を優先し、技術的に未熟なこともあって、鉱毒被害は収まらなかった。
足尾から銅は掘り尽くされたとして1973年をもって採鉱を停止し、足尾銅山は閉山した。江戸幕府や古河財閥により掘り進められた坑道は総延長1234㎞に達した。
さて問題の鉱毒問題だが鉱毒は足尾銅山以外にも垂れ流す設備があった。そう精錬所である。要は本山精錬所である。前々回にも記したが、1973年に足尾銅山が閉山した後も原材料を海外から輸入して本山精錬所が稼働していた。1987年に足尾線の貨物輸送が廃止される。それと共に本山精錬所は本格的な稼働は停止し一部のみの設備を使用するようになった。
この1987年頃からは鉱毒被害も減ったと言われている。
さて入ろう。割引券を提示し入坑券を購入した。検温と代表者の氏名、電話番号を告げ入坑用トロッコが入線してくるまで待機する。柱にはトロッコの入線時刻が記載されているのだが、入線時刻になっても入ってこない。どうしたのだろうか。するといきなり
入坑用トロッコが入線してきた。写真では見にくいが座席の前後には飛沫飛散防止シートが張られている。入坑用トロッコがホームに停車した。これで乗れるのか。と思ったが急にスタッフ数人が動き出しトロッコの座席を拭き始めた。成程、この作業の時間が積み重なって遅延していたのか。感染症予防が徹底されていることに感心しつつ遂にトロッコに乗車した。先頭には機関車らしきものが連結されている。
嘗ての作業員が乗車していたであろう旧ホームに停車した。旧ホームは二面二線で構成されている。片方は私達が乗車している入坑用トロッコ。そしてもう一線には機関車のない入坑用トロッコ3両編成が留置されている。さて私達が乗車している入坑用トロッコの先頭に立っていた機関車が切り離された。入換が始まった。入換が終了すると私達が乗車している入坑用トロッコは突如として走行を開始。無動力だと思われていたこのトロッコは自走できる様だ。
詳しくはこちらをご覧あれ。
さてトロッコは入坑口に入ってゆく。空気は瞬間で変わり非常に涼しくなる。200mも進んだか進んでいない地点でトロッコは停車した。どうやら到着したようだ。
ここまで走ってきたトロッコ。
ここから先に行けるのかとてっきり思っていた。どうやら違うらしい。トロッコが侵入して北方向と反対方向に少し歩くと見学用の坑道が出てきた。ここを歩くようだ。
銅山には作業員を模した人形が多数ある。出口に近づくにつれて採掘技術が現在に近づく。最初は鶴嘴で手掘り。そこから削岩機やダイナマイトなどと技術が進歩していく様が伺える。
削岩機(緑青が吹いている)
手押しトロッコ。トロッコ内には銅鉱石が。
坑道にも緑青が吹いている。銅山である証だ。
ホッパー車的なものか。荷台を傾ければ鉱石を降ろせる…?
防護マスクやら作業着が随分近代化されてきた印象を受ける。
見学坑道ももう終わり。展示室に続く道。
想像以上に見学坑道は短く展示室に割とすぐについてしまった。
本日もご安全に無事故で!確認ヨシ!
バッテリー詰所。バッテリーがなぜこんなところに…というのは後で説明する。
煙禁 の字が目立つ。もしダイナマイトに発火したら…
某採石場でダイナマイトが誤爆した事故があったことを思い出した。
貨車を1両づつエレベーターで上げていたようだ。
貨車1両当たりの積載量は1tだとか…。
一際長いトロリーポールが印象的なこの機関車は足尾銅山の本山から精錬所間に敷設された国内初の電気鉄道を走っていた。つまり坑道内用の機関車ではない。ベルや手ブレーキなどあちらこちらに独特な装備がついている。
銅山でとれた銅をインゴットにしたもの。20kgらしい。持つとかなり重い。
自然銅
化学組成はCu。人類が最初に利用した金属。
余計な部位を取り除き精錬することで利用できる、
孔雀石
化学組成はCu2CO3(OH)2。英名をマラカイトといい、緑色の単斜晶系の鉱物で最も一般的な銅の二次鉱物である。一次鉱床の銅鉱石が大気中の二酸化炭素や地下水の作用によって風化したものが濃集して形成されたものである。銅の炎色反応を利用した花火の発色剤としても重用されるほか独特の模様からパワーストーンとしても人気がある。
紫水晶
化学組成はSiO2。アメシストというとピンとくるだろうか。
紫色の発色は放射線を受けることにより生じる電荷移動によって三価の鉄イオンが四価の鉄イオンになる。この電子配置の水晶は光が通過した時に光の中でも黄色の光を吸収する性質を示すのだが吸収されなかった光は黄色の反対色である紫色に見えるというものである。
黄銅鉱
化学組成はCuFeS2。英名をキャルコパイライトという。
色は真鍮のような黄色だが黄色味の薄いものも珍しくはない。
そのようなものは後述する黄鉄鉱と見分けることが難しい。
特徴として硝酸に溶けるや緑色の炎色反応を示すことがある。
黄鉄鉱
化学組成はFeS2。英名はパトライト。
色は真鍮色で金属光沢を持つ。色調が似ていることもあり
金と間違えられることが多いことから「愚者の黄金」とも呼ばれる。
様々な鉱山で採掘され硫酸の原料となった。
完全に硫黄が取り除くことは不可能であることから
鉄鋼の原料としては用いられない。
また、特徴として衝撃を与えると火花が発生する性質があり、
この性質を利用したホイールロック式銃などに活用された。
方解石
化学組成はCaCO3。カルサイトとも呼ばれる。
鉱石として扱われる場合は石灰石と呼ばれ、
石材として扱われる場合は大理石と呼ばれる。
大理石として重用されるものは不純物を含んでいる。
展示室にはこれらの物の他、銅の精錬課程やこの近辺の建物などを立体的に表現した地図などがあった。
鉱山内で運用されていた機関車やバケットローダー、先程の展示館にいた機関車と同区間を走っていたと思われる機関車などがいる。
鋳銭座。造幣局だ。出入りには男女関係なく全裸になり厳しい検査が行われ、不正な持ち出しなどを防いでいたようだ。中の展示は貨幣の製造過程が人形や模型などを用いて再現されていた。
入坑用トロッコ(機関車と気動車)は新トモエ電気工業製。バッテリー機関車の製造会社として有名だ。
さて足尾銅山を後にする。出口には土産物店が並ぶ。
先程載せた足尾銭はこの土産物の一店舗で買ったものだ。
店主は観光客向けになのかやけに貨幣に詳しく嘗ては紙幣は日銀以外も発行できたこと。発行所によって番号が違うことなど様々な事を教えてくれた。
ガソリンカーの走る線路跡。また来た道を戻り通洞駅に向かう。
通洞駅に戻ってきた。ここからまた足尾線に乗るのだがそれはまた次回。
おまけ
車窓から見た足尾銅山の精錬所。
今回はここまで。次回は大間々駅へ向かい帰路へ
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