足尾探索記 (香風音視点) 4
初めましての方 初めまして。
前回の記事を読んでくださった方 こんにちは。
香風音(かふぇいん)です。
先日、足尾エリアを探索してきましたのでその様子を紹介したいと思います。前回は足尾本山駅までをやったので今回はその続きです。
さて強行軍の如く8月の日差しに照らされへばりそうになりながらも進む。幾ら涼しい日光市なだけあって気温は平野よりもマシだとは言えさすがに暑い。
足尾本山駅から間藤駅までは来た道なので省略する。やはり一度歩いた道は初めて歩くときに比べて時間の経過が早く感じる。そんなことを考えながら間藤駅に到着。ホームを覗いてみると1058発718D桐生行が止まっていた。通洞駅到着が同時刻らしいが果たしてどうなることやら…
さて718Dより先行して間藤駅を通過し直進するとGoogle map曰く渡れと指示する橋が出てきた。
立派なトラス橋だ。車両の通行はポールで阻害され通行不可となっており歩行者、自転車のみが渡れる橋となっている。ほんとに此処なのか?と疑問に思うがGoogle mapに従い渡良瀬川に架かるこの橋を渡橋する。
対岸から見るとこんな感じ。
橋を渡るとそこは古い住宅街だった。先ほどの橋はこの住宅街と間藤駅を結ぶ重要な地域住民の交通路なのだろうか。
田之集会場を発見した。
その前には郵便ポストもある。見る限り収集時刻が書いてなかったがいつなのだろうか…。恐らく集荷は先ほど見つけた足尾赤倉郵便局なのだろうか。
しばらく歩くと足尾線が道と並行する。それをさらに歩くと古河足尾コーポという建物がある。恐らく集合住宅だ。これを若干迂回するように歩くと
古い駅名看板が目立つ足尾線の足尾駅だ。懐かしの郵便ポストも公衆電話も何もかもがノスタルジーな郷愁を漂わせる。
この足尾駅は前回の記事で話した
硫酸だが足尾本山駅〜足尾駅間にあるパイプラインを通して足尾駅の硫酸タンクに送り込む。その後に足尾駅に常駐する古河機械金属の私有貨車であるタキ29300型に積載し出荷していた。
という関係にあることは説明済みだ。我々は足尾本山からとりあえず歩いて来たわけだがそれは硫酸と同じようなルートを辿ってきたということにもなる。
さて足尾駅には機関車マニア(主に私)垂涎の保存車輛群がある、折角なので紹介しよう。
協三工業製10tディーゼル機関車
今ではほとんど見かけることができなくなってしまったロッド式のディーゼル機関車。古河工業で使用されていたようで本駅での入換作業などを行っていたのだろうか。状態は比較的悪い。嘗ての足尾駅保存車群公開では自走できたとの話だが果たして今はどうなのだろうか…。
日本輸送機械株式会社製8tディーゼル機関車
こちらもロッド式ディーゼル機関車。所謂、ニチユのディーゼル機関車だ。古河工業で使用されていた。本駅での入換作業などを行っていたのだろうか。状態は比較的悪い。嘗ての足尾駅保存車群公開では自走できたとの話だが果たして今はどうなのだろうか…。
協三工業製15tディーゼル機関車 (D805)
こちらもロッド式ディーゼル機関車。太平洋セメントで使用されていた。状態は比較的悪い。嘗ての足尾駅保存車群公開ではエンジンは稼働していたとの話だが果たして今はどうなのだろうか…。シートを被せるためか鉄骨で枠組みが組まれている。
日立製作所製15tディーゼル機関車 (DB064)
シートが掛けられているためよくわからないが調査したところ、ロッド式ディーゼル機関車で嘗ては矢板駅構内で使われていたらしく側面には日本通運のロゴがあしらわれているようだ。これも足尾駅保存車群公開では自走できたとの話だ。一番動く可能性が高いのは本機だろう。
新潟鉄工所製 キハ30-35
八高、川越、足尾線で運用されたキハ30のうちの一つ。平成8年まで足尾線で運用されていたらしい。保存状態はあまり良いとは言えない。塗装は解説文にある通り国鉄気動車色。キハ30系列独特の外吊り戸が目立つ。方向幕は足尾行。
日本車輌製造製 キハ30-70
八高、川越、足尾線で運用されたキハ30のうちの一つ。平成8年まで足尾線で運用されていたらしい。保存状態はあまり良いとは言えない。塗装は解説文にある通り通称タラコ色と言われる首都圏気動車色。方向幕は桐生ー足尾表示。
川崎重工業製タキ29300型 (コタキ29312)
古河機械金属株式会社で濃硫酸運搬用貨車として運用されていた私有貨車。常駐駅は足尾駅である。パイプラインで足尾本山駅から送られてきた濃硫酸を本駅で積載し出荷していた。
日本車輌製造製 タキ35000型 (タキ35811)
日本石油輸送株式会社によってガソリン輸送貨車として運用された私有貨車。常駐駅は郡山駅。本車は足尾線や本駅に縁もゆかりもない。しかしこの様な燃料用貨車延いては私有貨車はタキ29312含め非常に貴重な事例であるため大変喜ばしい。保存状態は比較的悪い。
日本車輌製造製 ヨ8000型 (ヨ8928)
日本国有鉄道や日本貨物鉄道株式会社によって車掌車として運用された。嘗て貨物列車にも旅客列車の様に車掌が乗務していた。その車掌が乗車するのが車掌車である。従来の車掌車に比べ本形式は格段に常務環境が向上した。本車は関西方面で活躍した為、足尾線を走行した機会があったかどうかはわからないが足尾線の粗銅輸送にはヨ8000が連結されていたという情報がありまったくの無関係ということではなさそうだ。保存状態は汚れが目立つ程度で清掃してやればなんとかなるレベルだろうか。
また今回は撮影し損ねたがアント工業のアントもいる。
尚、これら保存車の詳細については今後出す保存車同人誌「鐵の残り香」にて紹介する予定なのでそちらのメドが経ったらお知らせしたい。
そんなこんなで保存車を眺めていると…
718D 桐生行 WKT-521
718Dが来てしまった。まさかの敗北。もちろん718Dには乗らずに通洞駅に向かう。
さあ、通洞駅に向けて出発だ。足尾線を横目に歩いて行く。
嘗ての繁栄は配線や転轍機の数で感じられる程度。今は見る影もない過疎地域だ。稀に建物を崩した跡地が野原になっているところがある。その中の一つに、若き開拓者のような人が草刈りをしていた。辺りには酸化鉄の香りと草の匂いが立ち込めている。このような地域に住み、整備をしようとしている若き開拓者に感心をする一方、匂いで私は顔を顰めた。
なにやら鳥居がある。
神明稲荷を発見した。
朱塗りの鳥居と小さな本殿一つ。これからの旅路の平穏無事を祈り祈願した。
寶増寺を発見した。法事なのかわからないが車が多いため境内に入るのはやめておく。
訪問時は特別、意識していなかったが足尾キリスト教会を発見した。当教会は1908年に建造された。足尾の玄関口に当たる通洞エリアに位置する。足尾エリアでは初めての本格的な教会堂であり唯一の現存するものである。当時の銅山労働者達の信仰を集めた。2014年に国の登録有形文化財として登録された。
恐らく簀子橋の跡地…だと思われる。
簀子橋からほんの少し進んだところ。足尾本山駅から実に4.6㎞。遂に通洞駅に到達した。
達成感に包まれるのも程々にして疲れた足を引き摺って次なる目的地に向かう。
次回は遂に足尾銅山へ突入する。
今回はここまで。
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