最小公倍数を求めて ―荻野目洋子「ダンシングヒーロー」―
子供の頃から、盆踊りの振り付けはどうもヘンだと思っていた。なぜか踊っているうちにずれる。自分だけが下手くそなのかと思っていたら、みんなずれている。ずれているのに平気で踊っている。ヘンなの。
その典型が、我が滋賀県で発祥した江州音頭。音頭取りがあれこれ歌ってから「ヨイトヨイヤマカドッコイサノセ」と合いの手が入る。踊りは簡単。ポンと打って右、左、右、両手下げ上げ下げ上げ、ポン。6小節で一回り。ところが歌はといえば、必ずしも6小節で回らない。4小節のときも6小節のときもある。興じて少し小節がオマケされるときまである。最初は合いの手が終わってポンだったのに、だんだんずれて合いの手の最中にポン、始まりにポン。それでもまるで構わない。江州音頭が原型となって生まれた河内音頭でも、似たことが起こる。
大人になってだんだんそのよさがわかってきた。踊りには踊りの周期があり、歌とあちこちずれる。それでいいのだ。思わぬところでポンと打ち、調子外れもそのままに踊っていくと、またいつかよいところでポンと打つときがくる。踊りが6で歌が4なら、ひとたびずれて12で出会う。踊りが6で歌が8なら、ずれてずれてまたずれて24で出会う。踊りながら最小公倍数を求めていく。
このずれの感覚は、最近の盆踊りにも活かされている。美濃加茂市の盆踊りでは荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」を毎年踊る。変則的に小節が足されたり引かれることがあるものの、曲の構造は基本的に8小節単位。ところが振り付けは10小節単位なのだ。当然、踊るうちにずれていく。
振り付けが実によい。パパンガパン、パパンガパンの2小節で始まるのはいかにも音頭らしいが、そこからなんと踊りの半分近くの4小節が、左右に手を回すカニ歩きなのである。どんな名手が踊ろうとも、思わずひょうきんさを醸し出してしまう必殺の動き。このカニ歩きによって、老若男女国籍を問わず、かっこよく踊ろうという野心から解放されてしまう。そこから回って回ってハイハイハイハイで2小節、123ハイ!123ハイ!とシャウトで2小節。声を出すことでいやが上にも盛り上がる。
踊りと歌では小節がずれているから、シャウトは必ずしも曲の盛り上がりと一致しない。そこが逆に魅力となる。歌が一休みしているところへ踊り手が「ハイ!」と鞭を入れる。踊り手がカニになっているところへ歌が「もっと熱く」と煽る。そしていよいよお互いの最小公倍数がやってくると、ハイハイハイハイ、123ハイ!
お互いに異なる時間へと旅だってしまったものどうしがひととき出会う喜び。盆踊りのお盆らしさは、意外にこんなところにあるのかもしれない。
(初出:GINZA 「うたうたうこえ」2018.9)