ノックと一撃
和製英語の「ノック」は、主にドアをコンコンと叩くことを意味する。一方、英語の「knock」は、ブロウ、すなわち強く鋭い一撃を意味する他動詞でもある。だからノック・ダウンとかノック・アウトといったことばが生まれる。一撃は硬い表面に当たって高く響く。ノックということばは、一撃に伴うその音を想起させる。
人の手は便利だ。開くと柔らかいのに、握ると硬くなる。相手に一撃を加えるときには、手を握り、拳を作り、ナックル、つまり第二関節と第三関節の間の平たい部分でノックする。一方、扉をノックするとき、暴力性はずっと弱められる。拳を裏返し、第三関節の角で面を叩く。あるいは拳を緩め、人差し指や中指の第二関節だけを使って軽くコツコツとやる。
弱められているとはいえ、その暴力性はゼロではない。扉のノックは、面のこちら側から反対側に向かって為される。ノックは面を振動させ、その音によって相手の注意を呼び覚まし、相手の応答を求める。ノックは、音を立てる者が面の外側にいることを、音を聴く者が面の内側にいることを明らかにする。ノックされた者は、内側にいることでもたらされる無防備な安息から、ときには眠りからも引き剥がされ、ノックに応じなければならない。応答がないとき、ノックは繰り返される。それはときには強迫にさえ響く。
本読みで台詞の終わりを示すノックは、扉のノックとは少々違っている。扉のノックは、垂直面に対して行われ向こう側に居る者を呼び出すが、本読みのノックは、水平な机の面に対して行われる。本読みのノックの音は、次の話者を呼び覚まし、応答を求めるが、ノックする者もされる者も、机に対して同じ側にいて、同じように机の表面に向かっている。
あるいは、机の下にはことばの漂うくらがりがあって、ノックはそれを召喚し、俳優に読み上げさせているのかもしれない。
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劇場の楽屋は、メイクや着替えによって憑依と離脱が為される場所であり、その扉はむやみとノックされるべきものではない。とりわけ、「○○様」と個人の名前が張り出されている場合、そこは共演者の挨拶や係の呼び出しを除けば、無用の訪問は避けられるべき場所だ。
「ゴドーを待ちながら」を演じ終えて楽屋に戻った悠介は、まだヴラジーミルのジャケットを着たまま息を切らしている。そこにノックが鳴る。「はい」と答える悠介の声には、休息を遮られた者の微かないらだちが籠もっている(この場面を通して西島秀俊の絶妙な声のトーンは素晴らしい)。顔をのぞかせたのは音で、悠介は少し声を和らげるが、「1人いま紹介していい?」と言われて、「着替えてから」と、やんわり先延ばしにする。ところが音は、悠介の答えをきかずにさっさと連れてきた男を紹介する。高槻と名乗る男を、悠介はすでにテレビなどで見知っており、型通り応対をしてはいるが、声と表情には、微かな棘がある。音は悠介の舞台を何度も訪れているはずで、脚本家なのだから、楽屋が俳優にとってどういう場所か、その機微は承知しているはずだ。その音が、なぜかあえて悠介の繊細な時間をノックしてきた。そうまでしてなぜ高槻は紹介されねばならないのか。しかも音と高槻の親しげなやりとりには、悠介の時間に割り入るほどの配慮があるとは思えない。
…と、そんな不満が映画の中でセリフとして吐露されたわけではない。しかし、音と高槻が部屋を去ったあと、悠介が脱いだジャケットを部屋の隅に投げるショットには、この映画には珍しい悠介の尖った感情が読み取れる。この印象的なショットが旅行用のトランクのアップへと接続されるとき、悠介の旅立ちは明らかに不穏な兆しを帯びる。(延期を知らされた空港で、車の後部座席にジャケットを放り込むの所作も、ただの偶然とは思えない。)
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映画を通じて、高槻は、まるで悠介の平穏を乱すように現れる。音の葬儀に黙って参列する。広島でのワークショップになぜか応募してくる。オーディションでは、その日会ったばかりの共演者ジャニスに、やぶれかぶれの演技でキスをする。
ワーニャ役に抜擢された高槻は、稽古の帰りに悠介を誘ってホテルのバーで語らうが、高槻の悠介に対する興味はどうやら音への思慕を介したものであったらしく、悠介のことばにはどこか突き放すような調子が出る。と、少し離れた席で、何者かが高槻に向けてシャッター音を響かせる。高槻はいきなりその男に近づいて「消せよ」と凄む。この小さなできごとには、人なつこいようでいて瞬間的に暴力性を表す高槻の危うさが漏れ出ている。トラブルを厭う悠介はそそくさと店を出る。
ショットの編集でも、高槻の存在は観る者を揺さぶるマインド・ブロウイングな一撃として演出されている。たとえばホテルのバーからの帰りの車の場面。悠介は音のテープをきいている。「どうした、そんな浮かない顔をして。あの先生のことが、かわいそうなのかい?」。と、突然くらがりに、高槻の「ぼくに構うな!」という声が響く。場面は昼間になり、本読みをしている高槻を映し出すので、観る者はようやくそのことばが、音の読み上げるアーストロフの台詞の次に放たれるべきワーニャの台詞であったことに気づく。あるいは、別のある日、ワークショップに向かう車の中で悠介が音のテープをきいていると、みさきが珍しく「あ」と声をあげる。窓の外に、誰かの車と接触事故を起こしたのか、路肩に傷ついた車を停めている高槻と、なぜかジャニスの姿が見える。
高槻の存在は、車にいる悠介の時間を脅かすように、繰り返し、音声によってショットに割り込んでくる。その極めつけはもちろん、あのピストルの音だ。
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公園の練習で、ユナとジャニスの美しい演技があった日の夜、悠介が車に戻ると、みさきは勧められた通り、車の中で待っている。「寒いな」「ええ」。小さなやりとりだが、それは少し前の場面に二人が交わした「いい天気だ」「ええ」を思い出させて、観る者を暖める。みさきは「今日、ありがとうございました」と礼を言う。なんのこと、と悠介はとぼける。が、公園で練習場所を探していたとき、悠介は明らかに、みさきが座って文庫本を読んでいる近くを選んで俳優たちを連れて行き、みさきが練習の様子を観ることができるよう配慮していた。みさきの礼は、そのことを指している。もし、そのまま走り出していたなら、二人のあいだでは、「寒いな」「ええ」に続くような打ち解けた時間、公園での演技を体験した者どうしの親密な時間が流れたかもしれない。
そのとき、ノックが鳴る。悠介が窓の外を見ると、高槻がいる。「少しお話できませんか?」。高槻の車は、どうやら先の事故で修理中らしい。高槻は、助手席側から車に乗り込む。この時点では、悠介が運転席の真後ろに座り、高槻は右側に座っていた。
しかし、帰りは、そうではなかった。