消えたい私が生きている


私は、社会不適合者だ。
というか、生きる事自体が不適合。
快や不快の単純な感情を超えて、初めて自分の気持ちを認識した『消えたい』
この『消えたい』に苦しめられてきた。
私がなぜ消えたいのかを考えてみた。

①家庭環境

様々な家庭があるのを重々承知してはいるが、私にとっては、理想的な家庭環境ではなかった。
恵まれていたのは、金銭的に不自由は一切なかったこと、両親も祖父母も健在していたことだ。
特に金銭面に関しては、素直に感謝しているし、大人になった今、尊敬している。
ただ、私自身が求めていたのは愛情だった。
好きなものを食べられなくても、好きなものを買えなくてもよかった。
両親は、私のことを嫌っていたかというと、また違う。兄弟間の格差が激しかった。
特に、父親は弟を溺愛し、姉である私に厳しかった。例えば、テストの点数が、共に98点なら、弟には勉強に頑張りを認めて褒め、私には2点足りなかった点を指摘する。 父の態度は、勉強や、生活面を含めてだ。
母は、平等に可愛がろうと努力をしていた。ただ、私には支配という形をとっていた。
母の口癖は、「あんたはママがいないと何もできない」
特に、第二次性徴期、嫌悪していた。
成長に見合った下着も中々買ってもらえなかった。色気づいて気持ち悪いと言われた。
結局は、「ママがいないと何にもできない子」でいてほしかったのだ。
3歳下の弟は、小さい頃はいわゆるいい子だった。父に甘やかされ、悪いことも咎められず成長した。次第に、学校に呼び出される回数が増え、警察沙汰になることが増えた。補導されるのは当たり前。その後、保護観察付きになった。
行動は擁護できないが、自分で善悪を見定める力がつきにくい環境ではあった。ただ、兄弟仲は悪くなく、常に私の味方でいてくれた。
こんな感じで、すくすく育った。
現在、父とは普通に連絡を取り合っている。
母は閉鎖病棟に入院中、弟は消息不明だ。

②いじめ

いつ頃からかわからないくらい生粋のいじめられっ子。いじめまではいかなくても、嫌がらせもされやすい。
幼稚園の時は、物を隠される。小学校の時は、行動言動を真似される、修学旅行で置いてけぼり。
中学校では、無視。高校生は、軽い仲間はずれ。短大は唯一平和だった。
それぞれの当時は、しんどかった。学校を休む勇気もないから、毎日通っていた。
今思うと、自分の意見がなくて、ヘラヘラしてるのが目についたんだろう。私自身も、意識下に無くとも、人の事を傷付けているから仕方ないところもある。
一番きつかったのは、働き始めてパワハラで鬱になったこと。ここから精神疾患との闘いが幕を開けた。

③精神疾患

私が初めて精神科に行ったのは高校生の時。
苦手な飛行機に乗らねばならない状況に、少しでも緩和できないかと通院を始めた。
そのときの診断は、飛行機恐怖症(パニック障害)。頓服で、安定剤をもらって事なきを得た。
後々、働き始めパワハラに合う。そして、鬱の診断が下る。
2年かけて減薬までたどり着いたが、出産を経て産後うつになる。
産後うつ発症から、3年たった今も寛解することなく治療中だ。

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多分消えたい原因は、この3つが占めている。
産まれ持った性質がベースにあるから、私が望んでいた環境で育っていたとしても気持ちは同じだったかもしれないが。
なぜ、消えたい私が子どもを産んだのか。 
この気持ちを抱えている私が育てるのは、子どもにとっていい事ではない。分かっている。
でも、ただ、愛おしくてたまらない存在。
初めて命の尊さ、命の重さを感じている日々。
ゆっくり成長している君への愛情は確かだから。

消えたい気持ちはずっと根底にある。
今さら、生まれ育った環境は変えられない。

消えたい私が生き抜くためにどうしたらいいか常に考える日々だ。


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