「蛙化現象」がファッション化していることについて

こんばんは、元蛙持ちのまふゆです。

最近全く更新していなかったのですが、ここのところSNS上で「蛙化現象」というワードが流行ってきていることに少しモヤモヤして、蛙化現象に本気で悩みまくっていた当時の自分がこの状況にいたら心底辛かっただろうなと思うので、同じように現在苦しんでいる真っ只中の人に経験者としてちょっとでも寄り添えないかな、という図々しい気持ちでつらつら書いてみます。

私は3年ほど前に蛙化現象を乗り越え、現在は交際している彼氏がいるのですが、現在の彼氏に出会う前までずっとずっと蛙化現象に悩んできました。

人を好きになって、その人に好きになってもらっても、何故か急に嫌悪感が湧いてしまう。
2,3回同じことが続いて、どうにかしたいと誰かに相談してみても「ほんとに好きじゃないだけじゃない?」と言われてしまい(そう発言した人を責めるつもりは全くありません。経験したことがなければそう考えて当然だと思います。)、そうなると次に気になる人ができても「この感情は本当に“好き”なのか?」「みんなが持つ恋愛感情ではないのでは?」と思って行動を起こすのもやめてしまう。
最終的には、私は他人に対して「愛おしい」という感情が生まれることは一生ないんだろうな、と心から思っていました。

恋愛を楽しむ多くの人が、「別に恋愛なんてしなくてもいいじゃん」「したいときにすればいいよ」「人生で絶対必要な事じゃないよ」と励ましてくれます。
その意見は正しいと思います。別に恋愛をしていないからダメだなんてことはない、その通りです。
でも、それでも多くの人が当たり前のように持てている感情を自分が持てないと感じるのは、ものすごい絶望感です。

そんなはちゃめちゃに苦しんでいた当時、もし普通に恋愛を楽しんでいる(ように自分からは見える)人が「デートの時に○○されると蛙化現象起きるよね!」と言っているのを聞いてしまったら、ものすごく辛いだろうなぁ…と思います。
さらに、それに対して、もし誰かが「蛙化現象になるって言う人きもい」なんて否定的なことを言っているのを聞いた日には、勝手にものすごく傷ついてしまうだろうと思います。
今、想像しながらこうやって書いてるだけでも傷ついてるもの。

この感情は何なんでしょうね。
「そんな軽いもんじゃない、一緒にすんな」ってことなんでしょうか。
(それもそれで、相手の「冷める」という感情を軽んじているようで、罪悪感もあります。)

まあいずれにしても、想像しただけで辛いわけです。
じゃあどうしたらいいのかな、と自分なりに少し考えてみました。

ひとつ思いついたのは、「蛙化現象」という表現をあきらめること、かなぁ…。

もう「蛙化現象」という表現は今流行っている意味のものとして譲ってしまって、自分はそれとは別の何かに苦しめられていると認識するだけでも、少しは気が楽になるのかも。

流行は誰にもコントロールすることはできません。少なくとも少数の一般人では無理です。

だからその表現はお譲りしてしまって、自分は自分の悩みの解消に向けて引き続きできることをする、って割り切っちゃうしかないかもしれません。
そんな風にすんなり割り切れたら苦労しないんだよ、って感じかもしれないですけど…。

「蛙化現象」という表現が最初に生まれたときの意味とは違う意味(もしくはそれよりも広い意味)として使われることには、今書いたみたいな感情的な面だけではなく、実用的な面でも困ることがありますけどね。
私が当時悩んでいたような蛙化現象で悩んでいる人が、ほしい情報を得にくくなるとか。

全くまとまりのない文章になってしまいましたが、今日ふと思ったのはこんなことです。
最後に、今「蛙化現象」という言葉が当初とは違う意味で流行ってしまったことで余計苦しんでいるあなたに、こんな言葉を送りたい。

その気持ち、めっちゃわかるよ~~~~~~~!

寝ます。おやすみなさい。


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