「蛙化現象を克服するには、まず自分を愛そう」って、無理ゲーじゃない?

こんばんは。蛙持ちのまふゆです。
「蛙持ち」とは、「頭痛持ち」「腰痛持ち」などの単語からインスピレーションを受けて私が勝手に作った、「蛙化現象を起こしやすい人」という特徴を端的に表す画期的な表現です。
既に似たような単語を作って特許を取っている人がいたら、正式に謝罪するので訴えないでください。

蛙化現象に苦しんでいたピーク時、文字通り藁にも縋る思いで「蛙化現象 克服 方法」なんてワードでグーグル検索をかけまくってた頃がありました。
そうすると必ずと言っていいほど出てくるのが、「自分を愛しましょう」という言葉。

でも、私は蛙化現象に悩んでいる人に対して「自分を大事に」「自分を愛そう」という言葉を解決策として提示することに違和感を持ってしまいます。
自分を好きになれないからこそ、自分のことを好きだという人を認めることができず蛙化現象が起きてしまうんじゃないかと思うのです。
「だからこそ、自分を好きになれば、人も好きになれるってことでしょ」という意見はその通りかもしれませんが、それができなくて苦しんじゃうわけで。
別の記事でも話しましたが、私にとってこの考え方は、寝れなくて困っている人に対して「なら、まずはちゃんと寝なきゃ」と言っているのと同じように聞こえてしまいます。
それができるに越したことはないけど、それができないから悩んでるんです。

じゃあ、どうすればいいのって言われると困ってしまうわけですが。
絶対的な解決策とは言えないかもしれませんが、「相手に褒められたことを否定しない努力をする」っていうのは、どうでしょう。
(これも、言い古された解決策かもしれませんが。)

相手に褒められたことについて「そうでしょ!私もそう思う!」と100%同意する必要は、もちろんありません。
否定しない、というのは、例えば何かを「上手だね」「すごいね」と褒められた時、自分も自分を「すごい」と思ってあげることではなくて、「この人は私のこれを上手だ、すごいと思うのか」と認識するということです。

なんだそんなこと、と思うかもしれませんが、自己肯定感が低いことで蛙化現象を起こしてしまっている人には、これはかなり難しいことなんじゃないかと思います。
私も以前は、誰かに何かを褒められても「本気で言ってるわけない」「お世辞に決まってる」「肯定したら、ナルシストの勘違い野郎だと思われちゃう」と考え全否定してしまっていました。

例えば、今の彼氏は本当にありがたいことに私を「かわいい」と言ってくれることがあるのですが、もちろん私自身は自分のことをかわいいなんて思っていないので、はじめの頃は反射的に「かわいくないよ」と返してしまっていました。
すると「かわいいかどうかを決めるのはあなたじゃない。」と、彼氏に半ば本気で怒られてしまいました。
「『私ってかわいい』とまで思わなくてもいいから、こっちが思ったことを否定しないで。こっちがそう思ってないことにしないで。」と言われて、自分がかわいいかどうかはさておき、相手の思考や意見を否定するのはよくない事だと納得しました。
それから少しずつですが気を付けるようになって、相手に褒められても反射的に「そんなことない」と脳内で否定する癖が少しずつ減ってきている気がします。

人は、人に認めてもらって初めて自分を認められる生き物だと思います。
褒められたい、認められたいと思うことや、認めてもらって嬉しくなっちゃったり、舞い上がっちゃったりすることは恥ずかしいことではありません。

これを読んで、誰かの気が少しでも楽になれば・・・いいなぁ・・・。
みんながもう少しだけ、わがままに、素直になれることを願っています。

いつも眠くなってから書き始めるからだめだ。最後のほうがぐだぐだになる。寝ます。おやすみなさい。

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