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ほとんどの承認欲求はその一歩手前にあると思うのです

「承認欲求」はありますか。他者から認められたい、自分の価値を理解して欲しい、そんな欲求。

ちなみに私はあります。

承認欲求とは

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一括りにしていますが、人間の欲求には大きく5つの種類があり、そのうちの一つが承認欲求になります。

アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが発表した人間の5段階の承認欲求『マズローの欲求ピラミッド』は見たことある人も多いと思います。

簡単に説明すると、人間の欲求はピラミッドのような階層構造になっていて、①の欲求から順に満たされるように求めていくというもの。

①食事や排泄といった生きていくために必要な生理的欲求
②他者から脅かされることなく安心・安全に生活したい安全欲求
③集団に属したい、他者から愛情を受けたいという所属と愛の欲求
④独立している個人として認められたい、尊敬されたいと思う承認欲求
⑤創作活動や目標達成など、理想の自分になりたい自己実現欲求

求めている欲求が満たされると、次の欲求を求めていくと言われ、誰しもこの欲求を持っていてどんなに抗おうともなくなるそうです。欲求が生まれることは今を生きているということにもなるでしょう。

人間が求める欲求には5つの種類があるのに、なぜ承認欲求だけ注目されるのか。SNSを通じて、承認欲求する人が多いことに気がついたからかもしれません。

最近、私も過剰に人が気になり、自分はだめだだめだと思ってしまう時がありました。何かあったわけでもないし、特に不幸だと思うこともない。それなのに。

ずっとSNSを見て、ボーと考えてしまって、不安に襲われて。そんな経験はみんなあるんじゃないでしょうか。
鬱々していたある日、「このままではいけない!」と思い、「承認欲求とは何?」から「承認欲求を抑える方法」などを調べて、考えて、行動して思うことがありました。

承認欲求はなくせる?

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承認欲求とは、人間の5つの欲求の4番目。住んでいる国や身の回りの環境にもよりますが、だいたいの人が②までの欲求は自然とクリアしているそう。

満たされず多くの人が求めているのが③からだそうです。

それでは、私は「所属と愛の欲求」は満たされているということなんでしょうか。SNSや会話で承認欲求を求めている人も③は満たされているということなんでしょうか。

ひっかかったのはここです。私はもしかしたら愛情がほしいのではないのだろうか。

私には、年子の娘がいます。主人との仲もいい方です。所属と愛の欲求では、家族からの愛情も欲求の対象になるはずです。でもなぜか、「ここにいるにはまだまだ頑張らなくちゃいけない!」という気持ちになっていたんですよね。

そうやって考えていくうちに私は「自分は働いていたとしても主人ほど稼げていないのだから、まだまだ頑張らなくちゃいけない」と自分が強く思っていることに気がつきました。

そして同様に主人もそう思っていたらどうしよう。いや、きっとそう思っているはず。とも。問題はそこじゃないのかな、とふと思いました。

私が私の今の存在や行動を認めていないからこそ、他者から認めてもらいたいと思ってしまっていたから、承認欲求が強くなってしまうでは。

「子供がいれば、承認欲求は満たされるよ」とも書かれていましたが、私にはピンとこず。

子供たちが幼稚園に行っていて時間があるのにも関わらず、主人より稼げていない私は、全然ダメなんだなって。
私の友達にも幼稚園に行っているお子さんがいても、専業主婦でいる人はたくさんいます。彼女たちがダメな人間なんてこれっぽっちも思いません。

でも無意識は怖い。自分にはそんな自分はダメだ。働かなくては価値がない。と言い続けてきたように思います。

夫婦での価値観の照らし合わせ

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問題は私のなかに合って、まずは夫婦でどうあり続けていきたいのか確認するべきだと思い、さっそく話しました。

主人の思い考えや家庭のあり方を共有し、私の思いこと、私の考えていることを話し合いました。具体的な内容はこうです。

私は物事を理解するのに時間がかかるタイプだから稼げるまで時間がかかると思う

・子供との時間も大切にしたいから、仕事や家事を優先できない

・稼げる妻になってほしいのに(と主人も思っていると思っていた)、申し訳ない

主人からは大きくいうと「稼ぐのは俺の役目。綺麗でいさせるのも俺の役目。あなたには好きなことをして。」的な感じで。(もっと言葉は違いますが、こんなニュアンスで)

まずは、私が私のしていることを認め、その上で進んでいく。行っているようで意外とできていない人が多いことなんじゃないかと思います。

承認欲求はなくなったのか

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承認欲求はなくなったのか。と聞かれるとなくなってはいません(笑)でも、今私がしている家事や仕事や育児が無意味なものだと思わなくなりました。

自分がしていることを見ている人がいて、それに対して反応してくれる。向いている向いていない、稼げている稼げていない、ではなく、全てはあなたなんだと理解してくれる人がいる。

承認欲求と思い、他者に認めてもらおうとしている人の多くは意外と「所属と愛の欲求」が満たされていないのではないかなと思いました。

幼い頃は両親にこの欲求を満たしてほしかった。今は家族に認めて欲しいと思っていたのかなと。

いま振り返ると、私は幼い頃から誰かに認めてもらいたい欲求が強かったと思います。「所属と愛の欲求」を満たしてくれる相手は子供なのかもしれない、親かもしれない、恋人や配偶者かもしれない。

「他者に認められたい!」と思っている人は、意外と身近な何かに満たしてもらいたいと感じているのかもしれないと思った出来事でした。



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