商業作家が同人誌を作る意味(私の場合)
文学フリマ東京38で頒布した無配の文章です。
小説市場は緊張感を増している。一冊目、二冊目で数字を出さない作家は、メンタルがきつくなる。だから一冊一冊が勝負作になってしまう。失敗が許されないのだ。
でも、失敗が許されないなどということが人類に可能だろうか?
イーロン・マスク率いるスペースX社が(今はなんか業者への未払いで揉めているようだけど)、民間企業でありながら圧倒的な速度で宇宙に到達できたのは失敗の数が多いからだ。爆発したり墜落したりを繰り返す動画はYouTubeでも人気になっている。
だが、ポートフォリオに入っている作家が(←イラっとする言い方だけど、そういう言い方をしている編集者がいた)数字を出せなくなったら賢く損切りして新しい作家へいくという編集者は少なくない。
責めたいわけではない。お互い必死なだけだ。
だが「失敗したら次はない」という悪役のボスのような空気を出されたら誰もが萎縮する。そう言われた悪役の下っ端もだいたいしくじっている。
稀に出現する天才ならともかく、私のような凡才レベルの作家にとっては、そこまでの緊張感に耐えつづけるのは無理なのだ。
今までに何度か「新しい」と言われる作品をだしたが、それは追い詰められて「評価なんかいらない」とやけくそになったときである。あるいは「業界の人たちを怒らせてやめる」とぐれたときである。だが、もう少し平和的に「新しい」と言われる作品を出したい。
同人作家たちが育ててきた同人市場にフリーライドするみたいで申し訳ないなと思わないわけではない。だが、私はたくさん失敗したい。
売れるのがたった一冊だったとしても作家たちはまた新刊を持ってやってくる。強いなと思うし、そうあるべきだと思う。印刷費も自己資本なんだから、数字なんてどうでもいいのだ。
そういう空気のなかで、技術同人誌を二冊だしてきたが、次は同人小説を書いてみたいと思っている。そしてその先にもいってしまいたい。
失敗してもいいならなんだってできる。
2024年5月19日(日) 文学フリマ東京38にて 朱野帰子