私立でも、いじめ
宝仙学園でのいじめ報道。
中学受験を乗り越えて、志望校に合格して、楽しい中学生生活のはずが、
なぜそんなことになるのか。
親の立場からも、悲しすぎる。
いじめる子は、なぜ、いじめができるのか?
他人をいじめることで、その子は何を得られると錯覚してるのか?
世の中、いじめはたくさんある。
それだけ、いじめっ子もたくさんいるということだ。いじめっ子がいじめられっ子になったり、その反対もあるだろう。
いじめる子の親が、どう育ててきたのか、もちろん知らないが、
親も含めて育った環境が、
いじめっ子を作ったという仮説はどうだろうか。
親や近しい大人が、ストレスの吐口に、子どもに怒りをぶつけて育てたら、その子も、自分の満たされない気持ちを、他人にぶつけるようになるかもしれない。
そして、ストレス発散になれば、人をいじめるのは、楽しいと錯覚してしまうかもしれない。いけないことと分かっていても、やめられない。麻薬みたいに、いじめっ子の心を蝕んでいくように。
いじめっ子は、そんなことしても、結局、幸せな気持ちにはなれない、と分かってはいるだろう。人をいじめて、その場では面白いと感じても、それは、自分の弱さや問題から、目を逸らしているだけで、結局、虚しさしか残らない。心が渇いている、その渇きは、自分と向き合うことから逃げたら、永遠に、満たされないのに。
いじめっ子は、たいてい、1人では何も出来ない。いわゆる、「仲間」が必要だ。が、「仲間」は、本当の仲間ではない。主体的に物事を考えることができない者同士が、お互いに依存してるだけの集まりだ。へらへらしてても、心の底からの楽しさ、満足感は得られない、そんなことさえ、もう気付かない。何か大切なもの、心のキラキラを失った、そんな空虚な人間、それがいじめっ子だ。いじめっ子は自らを貶めてるのにも、気付かない。
ある意味、ものすごく不幸な存在だ。
人生で、そんな者たちに遭遇したら?
それが自分への脅威なら、やはり逃げるが一番。
だって、いくら勇敢に立ち向かって、そのいじめっ子に幸せになってほしいと願っても、自分の愚かさには、自分で気付くしかない、から。いじめっ子が自分の愚かさに気付く前に、こちらが、いじめられて、追い込まれて、潰される。それは、避けたい。
学校という、ある意味、逃れるには狭い特殊な場所で、いじめは起こりやすい。そこから、逃れるには、やはり大人の助けは必要だ。親はもちろん、先生方にも、当事者同士で解決は無理だろうし、クラスで解決も無理、学校内での解決なんて、ほとんどが、先生がご自分を納得させたいためだけの見せかけの解決でしかないことに、気付いてもらいたい、と、私はいじめニュースがあるたびに思ってしまう。
親は、どう子どもを育てればいいのか?どう育てれば、いじめっ子にならないのか。
「他人を認め、その違いを受け入れ、尊重する」
ただその姿勢を親が見せるだけで、相当のいじめはなくなるのではないかと思う。
まずは、自分の子どもに対して、ありのままを認め、親である自分とは違うことを受け入れ、1人の人として尊重する、それは当たり前だけど、なかなか難しいことでもある。
私も、これまでの子育てで反省する点は山ほどある。でも、その度に、反省したことを、ぶーにも伝えてきた。親も間違える、たくさん間違える。でも、その時にどうするか、その姿勢も見せることが大事だろうと思う。
幸いなことに、ぶーの学校では、まだいじめの話は聞こえてこない。
私の印象では、心に余裕があるから、穏やかで、そこまで発散しなきゃならない不安要素もないから他人に攻撃する必要のない子たちが多い。だから、いじめもないのだと思う。
ご家庭の内情はわからないが、たぶん、親が自分の怒りの感情を子どもにぶつけて発散するようなことはないのだと思う。親も、不安なことはあるし、感情をコントロールすることが難しいときもある。それを弱い者にぶつける、それだけはしてはならないと、わかっている親たちなのだ。
子どもたちの問題は、そのまま大人の問題思える。鏡なのだ。勉強ができて、仕事ができても、子育てができるわけではない。
親になるための教育、それに子どもに寄り添える先生になるための教育、そういったことが、今の日本には必要だと思う。
ぶーには、幼い頃から、自分が嫌だと思うことは、お友達にもしないこと、と言い続けて育ててきた。
そして、言わなかったことは、「皆んなと仲良くしなさい」だ。だって、皆んなと仲良くなんて、私にもできないから。ある程度、距離をとって、上手く付き合う、家族や仲良しの友達以外は、それも大事だから。無理して誰とでも仲良くしようと関わるよりも、合わない他人とは、お互い関わり過ぎないほうがよい。大人もできないことを、子どもたちに、強要せず、自分と合う友達がそこにいなければ、1人でいることも認めるべきだと思う。友達は、幼稚園や公園の中から見つけられなくても、世界中のどこかで会えると教えてあげればいいのではないだろうか。
中学受験して、せっかく入学した私立学校であっても、一生苦しむことになる可能性がある状況なら、即、逃げるべきだ。
子どもに寄り添うことが出来ない先生なんかに頼っても無駄。問題をなかったことにすることばかり考えてるだけだから。
子どもの心からキラキラを奪う学校は、いい学校ではない、と思う。
ぶーの学校が、そんな学校ではないことを願う。
いじめのない学校や社会はないかもしれないが、問題が起こったときに、周りの大人たちが、大人の都合ではなく、真剣に、子どもたちのこれからのことを考えられる、そんな社会の一員、学校の保護者の一人でいたい。
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