優しさと愛はすぐそばに
先日から憂さ晴らしに、わあわあと自身の人生にに起きたことを書き殴っている。
そしてやらかしてくれた当人にぶつける機会もあったので、あん時のアレ、どう思ってるの?と直接ぶつけ続ける日々。
宗教勧誘の人に細木数子の真似をされ、突然暴言を吐かれた件は(こちらを参考に。最後の方に出てきます)
田舎故、どうしても切り離せない関係のある方だったため、あの場は断るよりうまいことやり過ごすしか方法がなく、死んだ心でやり過ごしていた。
その甲斐あって、身内との縁はがっつり亀裂が入ったものの、件の細木数子もどきからはモブとして扱われることに成功!!
いやーよかったですよ。
我が家がリアル炎上しなくて。
しかも自分も入信せずにすみ、逃げ切り解決!
なので、色々やらかしてくれた身内に、なんか言うことない?って聞いてみたわけですよ。
そうしたら、言うことない、って言うわけ。
アホか。
おまえ、お礼くらい言えよ。
そこにある菜箸でお前をグサグサして全身はしか風アザ人間にしてやるぞ。
未だ身内が信仰してるかどうか知らないが、別に君のそれは構いはしない。
ただ我々を巻き込まなければいいって話。
私の葬式には出られないよ。と言ってたけど大丈夫。
色々な手間が省け、万々歳と思ってるから。
しっかしさー、本当にいうことないわけ?
もういい大人だというのにさぁ。
私は細木数子もどきからはモブとして見られ、あなたはその宗教の人たちから同情されたり、バカにされたりしながらも、なんだかんだ大きな問題は起きなかったらしいじゃない?
それさ、そうとう有難いことだと思うよ。
感謝の気持ちくらい、あってもいいと思うんだけどな〜。アンタの宗教も、感謝の気持ちを説いたりするんだろ。
ところで細木数子。
島倉千代子さんと同じ日に亡くなり、あぁ…なるほどなるほどとヘッドバンキングして、首痛めるくらいの超絶納得感なんだけど、あの人の料理コーナーは、そこまで嫌いじゃなかった。
(でも最後まで見れたためしがない)
細木数子がエプロン(割烹着だったかな?)をして、家庭のおばんざいをつくるテレビ番組。
どれもこれも本当に手の込みすぎていない(これがポイント)ありがちな家庭料理で、それを手際よく、色々ポイントをぶつくさ言いながら美味しく作り上げていた。
あの人の性根は、口より料理に出るのだなと錯覚させる、何かがそこにあった。
そうそう、私の米の研ぎ方はあの人から学んだ。もうずっと
ざるで研いでいる。
確かに早くて味もそう変わらないから、それだけは細木数子の教えを守ってる。
確か彼女も、
今の子はヘタクソだから
と、若者をディスりながらその技を披露し、さっさと炊飯していた気がする。
本当4合くらい炊くと実感するけど、ざるとぎは
はやい。
だからみんな真似するといい。
なんてたってあの細木数子の教えなんだから。
ちなみに、私の習った料理教室の先生もある意味
細木数子そっくり
だった。
こちらはガチのモノホンで
裏の毒舌がガチンコですごい。
あんなにリアルに震え上がるほどの怖さみたことなかった。助手の人ってのが色々やったりするんだけど、その人への当たりが
強い。
もう、ものすっごい強いんだって。
ふつうにオシッコちびるくらい怖い。
エンターテイメントじゃなくて、この場でリアルに起きてるからむちゃくちゃ怖い。
一緒に習ってた女の子と、マジで手を取り合って震え上がったもの(実話)
またその切り替えもが超絶早くて、生徒にはその裏の顔は一切出さない。
出さないけれど、裏の顔は教室の小窓から丸見えで、生徒は皆知っていた。
あれはワザとなんだと思う。
もう、先生ったらチャーミングなんだから♡
彼女は、本物の先生だった。
その料理の腕前と、手際、教えは一流だった。
先生はプライドをもってそれを実践し、常に勉強も怠らなかった。
私はそのプロフェッショナルな仕事の場に、居合わせることができ、それに感謝した。
私は先生を尊敬した。
怖すぎて2度と習いたくない
けど、本当によい先生だったと思う。
そんな先生は私に、結婚生活のいろはを教えてくれた。直々に慈愛を込めて、言葉少なく必要なことだけを、真っ直ぐに伝えてくださった。
先生から見たら、私は遅刻ばかりするろくでもない生徒だったけど、先生のその教えだけは、今も守り続けてる。
あの言葉の中には、確かな愛と知恵が詰まっていたから。
そして肝心の料理は、半年以上は習ったにも関わらず、煮魚の作り方以外全部忘れてしまったのは、自分でも申し訳ないと思っている。
でも、あの先生の裏の顔は、プライドの裏返し。
一流の仕事人故、自らの仕事に関わるところは常に完璧にしたいのだ。
先生はきちんと生徒を見ていた。
あの土地に、何十年と教室を構え切り盛りしている力強さ。
そういえば、先生のなまえも「かずこ」だった。
薄い唇に真っ赤な口紅をさしていて、それがとても綺麗で、よく似合っていた。
先生に、息子が淹れたコーヒーと娘がつくったケーキを、お出ししたらなんというだろう。
きっと、優しい言葉が返ってくるに違いないと、私はあの場所を通り過ぎながら考える。
愛は上から下に流れると、細木数子は説いたらしい。でも、私は知っている。
かわいい小さな子どもたちは、私たちをどうしようもなく愛していて、その表現の仕方を日々学んでいる。
私はそれに対して、きちんと対応出来ているのだろうか。きちんと愛をつなげているだろうか。
私はコーヒーを飲まない。
誰かに淹れることもしない。
けれども息子は、それを丹念に淹れて、私にどうぞといってくれた。
それがどうしようもなくいじらしくて、私はぎゅっと抱きしめた。そして娘も抱きしめて、3人でしばらく、ぎゅっとしていた。
※ざるでの米研ぎについて。
一応ネットで調べて見ましたが、やはり米がかけたり割れたりとよいことは無さそうです。
どうか皆様は、料理本や家庭科の教科書等を確認し、お米を扱って下さい。
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