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2023/04/30
意図的に人を傷つけることは快感で、意図せず人を傷つけることは苦しいと感じる。
歳を取った。闇雲に人を傷つけたいと欲するようになった。
人を傷つけることは不注意のせいで起きる事故のようなものだと思っていた。自分から望んで人を傷つけることはあり得ないと思っていた。
でも最近、人を傷つけたくて仕方がない。憎らしいと思う対象が増えたように感じる。若さには嫉妬しないが、強さが憎らしい。
人生がめちゃくちゃに
できないことを諦めることが正しいと思っていた
けど今は、できないことを“できないのだから”と受け入れることを悲しいことだと思うようになった。
自分には無理なのだから
自分には才能がないから
そう思うことで自分の機嫌をとることができると気がついてから、生きる上で必要なのは自分の不出来を諦めることだと思ってきた。
けど自分が不出来な人間だと認めることはともかく、できないことを仕方がないと思いそういう自分であることを慰めるのは果たして悲しいこと
すぐにイライラを見せる人をばかにしていいと思っている件について
人がイライラしている姿を見るのが苦手だ。
特に私のせいでイライラしている人を見るのが苦手だ。
私は要領があまり良くない。
それから、10人が1回ずつするミスを、ひとりで全部経験したりする。
私の能力が低いんじゃなく、周りの人の能力が高いんだ、というふうに思うが、ミスによって周りの人の手間を増やすことが多い、という事実はどういうふうに解釈しても、変わらない。
苦手な人がいる。
余裕がない人が苦手だ
自分の善性は愛でるくせに人の善性は見ない
電車で座席に座っているとき、
たとえば腰の曲がったおばあさんが乗ってきたとする。
(あ、席、譲ったほうがいいかな)
と思う自分は優しいと思う。
必要とする人に席を譲る、は優しいことだと信じている。
優しいことを行動に移すことは正しいと信じている。
それでいい。
そして「よかったら、どうぞ」と、席を譲ったとする。
おばあさんも「ありがとうねぇ」と言って座ったとする。
満足だろう。
いいこ
声の小さなコドモのおはなし(書き途中)
コドモの声はとてもちいさな声でした。
コドモが住んでいたのは森のそばの、ちいさなちいさな村でありました。
コドモは生まれた時から声が小さくて、
生まれて一番最初に上げる産声ですら、誰にも聞き取ってもらえませんでした。
声の小さなコドモの気配は、声とおんなじように小さくて。
コドモは同じ年に生まれたコドモとおんなじように育ちましたが、
中でも一番背が小さく、それがより一層、コドモの気配を小さくさせる
2月25日→2月26日
親不孝の話。
ぼくは自殺してはいないけれど、だから親不孝じゃないってわけじゃないよなって。ぼくは自分はものすごく親不孝な人間だと思う、とてもよく。
あ、けどまてよ、親が不幸かなんて親自身も判断してないはずなのにぼくが勝手に親不孝なんて言い出していいのだろうか。いいわけじゃないよな。じゃあぼくのこの親不孝の話はどこからきた価値観なのだろう。いままでに染みた他の人の思考回路からかな、それとも、自分が
2月23日(日)→2月24日(月)
奇数よりも偶数の方が好きだ。
別にそれでいいんじゃないかと思う。
――――――
昨日は20時には寝てしまっていて、今朝は5時ごろに目が覚めたのだけれど、はじめてぼくはぼくが朝が嫌いなことに気付いた。
夜遅くまで起きているよりも朝早く起きた方が生きる都合が付きやすいよ、っていうアドバイスはよくもらうし、知識として頭にはあるのだけれど、何年も前から染み付いたその言葉の通りに生きることができなかった