慶次郎の独白2
廊下にバタバタと走る音が騒がしく聞こえて、俺はゆっくり瞼を開けた。耳を傾けてみれば、屋敷の皆が騒がしく掃除をしたり、おしゃべりする声が聞こえて、賑やかな雰囲気にふっと微笑みが溢れた。
ああ、いつ間にか眠っていたようだ。
俺はゆっくりと起き上がり、出撃の時間を確認しようと壁掛け時計を見上げた。
まだ時間まで充分ある。
良かった、まだ美紗子の姿を見ることができる。
1分、1秒たりとも逃したくない。
時間が無限にあると思っていただけに、実際は短く感じてしまう。
時間は待ってはくれない。
分かっている、分かっているのに頭と気持ちは別々にあるようだ。
ああ心が、俺の心が、今でも叫んでしまいそうだ。
俺は、美紗子が心から幸せになる迄は死にたくない。と、吐き出してしまいそうで怖くなる。
それだけは、絶対に美紗子に悟られたくない。
弱音なんて吐き出してしまえば、想いが伝わってしまう。弱気な姿を見せて、困惑させてしまうだけだ。それはしたくない、絶対に。
それでも俺が願う事はただ一つだけ、君がどうか笑顔で生きて欲しい。俺の存在や立場が兄妹だとしても、心から願わずには居られない。
ゆっくりと立ち上がると、窓辺に近づき鍵を開けて、カラカラと音を立てて窓を開ける。
そこから微風が吹いて、ふわりとカーテンが舞い上がり俺の顔を撫でていく。
外は晴れて空には曇り一つない綺麗な空が、観える。その下には美紗子が好きだと言って植えた見事な園が広がっている。
その景色を目に焼き付けて、忘れたくない。
瞼の裏に、美紗子の笑顔を思い浮かべては俺はふっと微笑みが溢れていた。
ああ…そうだ、やっぱり手帳だけは残して置こう。沼津さんには一言残して、俺が居なくなった時に美紗子に渡してくれるように伝えよう。
俺が居たという形を、この黒い手帳を美紗子に託そう。美紗子は哀しむかもしれない、だけど少しだけでも俺の存在が居たという事を忘れないで欲しい。
一時でも、美紗子の中に残りたい。
机下に置いてある鞄を開けて、黒い手帳を取り出した。そしてパラパラと手帳を開き、手帳に挟んでいた写真だけは抜き取り、美紗子の微笑む写真をみて、俺はそっと静かに写真を口づけた。
誰にもこの想いを伝えることができないなら、彼女にこの想いを言えることができないなら、その代わりに、この瞬間だけは許して欲しいと神にでも仏にでも祈りたくなりそうだ。
そして、机の上にある筆をとり、美紗子に宛てた言葉を記すと、机の上に筆と黒い手帳を置き、写真は鞄の中へ大事そうに仕舞った。
さあ、出撃の時間まで時間はまだある。
美紗子の姿を、瞼に焼き付けていこうか。
そう小さく呟いて、俺は自室の取手を握りしめて音立てて開き、ゆっくり扉をパタンと閉めた。