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釦ひとつの誓い


「とうとう、来てしまったか」

郵便受けから出した封筒を取り出し、その中に入っていた一枚の赤紙を手にしたまま、俺はがくりと肩を落とし溜息を吐いた。

「母上にも伝えなければ…それに弟にも、まだ幼いのに1人にさせてしまうのか。」

お国のために選ばれるのは喜ばしい事とは言われているが、戦果はあまりにもよろしくない中での赤紙が来ると言うのは、かなり状況は厳しい中にあると言う事だと俺は新聞やラジオで必死になって把握していた。

「お上もこの状況にどう思ってらっしゃるんだろうか、国民の声を聞いてらっしゃる筈なのに…」

いつか来るであろう、赤紙に備えて身の回りも全て整えて…怯えながら生きていくよりも、覚悟を持っていかねば後悔すると、俺はそう思い生きてきた…筈だった。

「実際に来ると、胸にくるものがあるな。
実感が湧かない…」

確かに年齢的にはもう大人と呼ばれてもおかしくない、かつ軍学校にも在籍、しかも結婚もまだないが、ただ想い人が1人いるぐらいの俺に赤紙が来るというのは理解は出来る。

ーーーただ…

「あの人に気持ちを伝えないまま、俺は戦場に行かなければ行けないのか?」

俺は思わず、手が痛くなるほど赤紙を強く握り締めてしまった。嗚呼…この想いを伝えないまま俺は戦場には行けない、この紙を堂々と出す事は出来ない。こんな想いを抱えたままで行くのは、到底出来ない。

「あの人の声が、俺の耳元に今でも残るほど愛しい」

ー後悔するなら今、今伝えればいい。

そう思った俺はその場から急いで、想い人の元へ向かおうと必死になって走り出した。
もう陽が沈む頃に差し掛かっていると言うのに、まだ街中には人集りは減っていない。

「急がねば、あの人がまだ居る内に…」

急いで駆け足で向かったせいか、すぐに校門の玄関が見えた。玄関の扉を急いで開け靴箱にも入れないまま、その場で靴を脱ぎ捨て、階段を駆け上がっていく。息がぜえぜえと苦しくなっても、必死になって駆け上がった。

「上条!!」

ガラリと教室の扉を勢いよく開けて、目の前にいる想い人の名前を呼んだ。

「どうした?」
「上条…」
「なんだね、勢いよく俺の名前言っておいて…
嗚呼、なんて顔をするんだい。真っ青じゃないか…どうしたんだ、君らしくない」

そう言って上条は、息が上がったまま上手く言えない俺の肩をゆっくり優しく撫でる。その温もりに安心したのか強く握りしめていた赤紙を黙って渡す。

「…嗚呼…来てしまったんだね?」
「そうだ、それを伝えにきた…わけではないが…」

いざとなると、上手く言葉が浮かばない。
想い人の前に立つと、上手く言葉を言おうとしても出来ない。

「山砂…」
「なんだ…?」

ふふっと笑って俺を見る彼の表情に目を奪われながらも、彼の続く言葉を待った。

「山砂、実は俺にも赤紙、この前来たんだ…」
「は?」
「いつ言おうか迷ったんだけどねぇ…
君に先越されてしまったなぁ。」

まだ提出してないんだけどねぇ、早く出さなきゃと思いながらもまだ出してないんだと上条は笑って、強く握り締めていた俺の手を優しく撫でた。

「お前も来てたんだな?」
「嗚呼」
「ご両親にはなんて?」
「伝えたよ、とっくにね。はぁ…数日後に式を挙げると言われてねぇ、このご時世仕方ないんだろうけど…」

彼のその言葉に俺は動揺を隠せない。
その顔に出てしまったのを分かったのか、彼はクスリと笑って俺を見た。

「仕方ないさ、時代が許せばまだ…」
「まだ…?」

上条はハッとしてその言葉をつぐんで黙ってしまった。俺がその言葉の続きが気になって言ってしまったが為に彼はその言葉を紡ぐ事はなかった。

「そんな辛気臭い顔しないでおくれよ」
「してねぇよ」
「分かりやすい人だねぇ」

ははっと上条が子供みたいにくしゃっと笑ったその笑顔を見た瞬間、覚悟していたはずなのに……胸の奥から込み上げる嗚咽を、必死に飲み込んだ。

「生きて帰ってこいよ」
「嗚呼」
「俺は待たんぞ」
「分かってるさ」

君が気が短いの分かってるさと、上条はくすくすと笑って俺の頭をくしゃっと撫でた。

「山砂」
「なんだ」
「これをやるよ、もう少しで卒業になるだろ?」
「おま…」

ポンっと投げられた一つの塊が、俺の手のひらに落とされる。

「釦?」
「釦」

そうだよ、と再び子供のようにくしゃっと笑ってほら俺にもくれないのかい?と悪戯っ子の様に俺の釦をくれと催促する。

「どこかの本で見たのさ、お互いのものを身につけていると、その人の元へ戻ると…」

なんて浪漫だとは思わないかい?俺らしくないけどね。と、寂しそうに笑う上条に胸を締め付けられた。

「上条…分かった…、ほれ第二釦やるよ。」
「おいおい、良いのかい?」
「お前が持ってくれるんだろう?」

はは、君には負けるねぇと上条は笑って大事そうに釦を握りしめる。その姿に思わず抱きしめてあげたい衝動を掻き立てたが、パタリと手を下ろした。

「式には俺を呼ぶんだろう?」
「嗚呼」
「招待状出せ、来てやる」
「全く君は…」

君には負けるねぇとくすくすと笑って、俺の肩を軽く叩いた。そして教室の扉を指差して、俺の目を見ながら言った。

「ほら、教室を出ないか?」
「嗚呼」

上条の言葉に俺は頷いたが、まだ手元には赤紙を持ったままなのを気づき、丁寧に畳んで胸元のポケットに入れた。

「山砂」
「なんだ」
「生きて帰ってきたら、盃を交わそうじゃないか」
「嗚呼…」

生きて帰る事が出来たらなと、俺は目を瞑って微笑んだ。

ーーーー


「山砂上官!駄目です、戦艦が沈みます!」
「なんとか持ち堪えろ!!」
「はっ!!」

爆撃音が響く中、俺は早足で俺の相棒である零戦機を乗り上げ、勢よくエンジンを蒸し、握りしめる。

エンジンが回る音が耳に響いて、柄にもなく手に汗が滲む。もうこれ以上回避ができないということを俺は分かっていた。

「嗚呼、お前の約束は果たせそうもないな」

なぁ、上条と俺の胸元に見れば、キラリと光る釦が見えて俺は思わず微笑んでしまった。いくつもの戦場を駆け抜けていったが、これだけは見失わず、手元にある。

「嗚呼、想いなんぞ告げなくて良かったな…」

俺の第二釦はあの人の手元にある、それだけで充分だ。手元にある釦がきっとあの人の元へ連れてってくれる、とあの人の言葉を信じておれは征く。

「生きて帰れなくても、上条の元へ俺は…」

爆撃音と共に、俺の相棒は空へ舞い上がると勢いよく敵戦艦へ目掛けて発進する。

「さようなら」

思わず耳を塞ぎたい音が耳元に響き、エンジンごと吹っ飛ばされる音も聴こえる、それでも俺は諦めずに突撃した。


ーードォーン…


どちらともわからない爆音が聴こえて、痛みを堪えながら、聴こえた音に振り向けば味方の戦艦が沈んでいくのを俺は見えた。

俺の体は突撃した時の衝撃で、戦機からはじ出されるように吹っ飛ばされた様だ。その衝撃で骨が折れて動けない。

「上条…」
「Hey, can you stand up?!」

どこからか若い米兵が俺を助けようと、手を差し伸べた。俺は首を振り、米兵から拳銃を奪い俺はこめかみに当てる。

「お前らの捕虜になるなんて、真っ平御免だな。」

パァンと拳銃を打つ音が響き、俺は釦を握りしめながら瞼を閉じた。若い米兵は必死に叫んでいた。救うための声か、怒りか――言葉の意味はわからない。ただ、その目に浮かんだ涙だけは見えた。


『上条、今征くからな待ってろ』


その言葉と共に、散りゆく桜の花びらのように、俺の意識は薄れゆく。あの人に出会えた奇跡だけを胸に抱きしめて――永遠の眠りについた。

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