離れた心
楓蘭です。
今回は社会人になる時に地元を離れて
一人暮らしを決心した理由について語っていこうと思います。
幼少期私は父親と中が悪かったです。
父はとても厳しくて
「姉妹のやらかしは連帯責任」
「虐められるのは虐められる側に責任がある」
「義務教育は這ってでも行け」
と口酸っぱく私に言ってる人でした。
小学4年生の時、
1番酷いいじめを受けていた私は、
両親に助けて欲しくて、
学校に行きたくない。
と言ってました。。。
まぁ、父親が
「いじめられる側に問題があるんだ」
「義務教育なんだから這ってでも行けそれがお前の仕事だ」
なんて口にするので相談したのもこの1度だけだったんですけど、、💦
そんな父は家に帰ると
ドカッと寝そべりゲームをしてるわけで……
家のことは何もしてくれない。
ちょうどこの頃から介護職で働く母は夜勤があり週末は家に居ない状態でした。
そんな母に変わって、妹と弟に母が作り置きしてたご飯を食べさせて、お風呂に入れて、洗濯物を回すのは私の仕事でした。
ですが、
父親は食後
お風呂に入らずゲームをする。
早く入ってと言うと不機嫌になる。
そして
「誰のお金で生活できてると思ってんだ」
「お前はまだ働いたことないから辛いのが分からないんだ学生なんて学校行くだけだろ。疲れてない。」
みたいなこと言われてました。
言い返すと機嫌がさらに悪くなって手をあげられることもしばしば……
私が何もしてないみたいな言い方は正直大分ムカついてたし、
姉として下の子達を守らないといけない。
だから
「お母さんが居ない時くらい家のこと私たちに押し付けないで自分でしなよ。私はあなたの奴隷じゃない。疲れてるのはお互い様でしょ」
と言ってたんですよね………
それは家を出るまで続いてたわけなんですけど、中学生になって思春期になり、
私は父と話すことも無くなりました。
進路についても何も話さず。
父が家にいる時は子供部屋に引こもる日々。
家族団欒の時間である食事も別々にとる。
そんな日々でした。
そんな学生時代の私は
家に帰るのは苦痛で、でも学校に行くのも苦痛
そんな板挟みの状態で常に疲弊してました。
母は、そんな私に
「あの人は精神年齢が子供だと思ってなさい。」
「楓蘭も大人の対応すれば楽だよ」
と言うだけ。
社会人になり、地元を離れ1人で暮らすようになって鬱になった時も、
実家で療養するのを進めてくれるが
家には悪魔がいるわけで………帰れない。。。
最後に
子供は獣じゃない
人間は言葉が喋れる。
言葉で分からないから手をあげる。
なんて馬鹿げてます。
子供の悲痛な声はどこにも届かない。
警察沙汰になっても、証拠(虐待された跡)がない限り、事情聴取だけです。
そしてその行き過ぎた躾は足枷となる。
場合によっては死ぬこともあります。
私も自殺を何度も考えました。
その度に妹や弟に止められて生きながらえてしまってます。
子供を選んで産むことが出来ないように、
親を選んで生まれて来れません。
幼少期に離れすぎた親への気持ちははもう戻ってこないんです。
だからこそ、
子供の気持ちに寄り添って、
親身に接して欲しかった。。。