アパレル業界で売上100万も作ったことない男が、3年で2億円を達成し倒産を免れた話
※写真は下段が2010~2017年までの年間手帳と、上段が7年分のメモ帳です
金融機関からの追加融資不可
以前記載した通り、シルバーからヤングに事業変更したことも含め赤字が続いてる状態だったので、どの金融機関も追加融資をしてくれず、自己資金から借金を返済しながら売り上げに追われる日々を送っていました。
今でも思い出したくない、あと3か月でこの売り上げやらないと倒産、、来月この売り上げやらないと終わり、、、という感じで、毎月の現預金残高に震え、まさにすれっすれのところを這いつくばって、ギリギリ息をしている状態でした。
救世主現る
そんなギリギリの時に、突然わが社に一つの光が舞い降りました。
当時の民主党政権、亀井静香元金融担当大臣が周囲の反対を押し切って通した法案
「中小企業等金融円滑化法」
通称「モラトリアム法」
簡単に説明すると、この法案が通ったお陰で、1年間銀行に借金返済しなくて良くなったんです!!
弊社は当時年間で3千万円の返済をしていたので、これがまるっと浮いた状態になるということです!赤字企業にとって、これがどれだけ素晴らしい法案か。。。この法案が無かったら、弊社は今存在していなかったかもしれません。
静香様!この政策以外は、ホリエモン出馬の際の天敵だったことしか知りませんが、その節は本当にあざしたっ!
ちょうどこの法案が通る少し前に、知り合いの社長さんから
「日永君、ドレス※と言えばY社さんが有名だよ」
と教えていただき、なんでもその会社は全国に150店舗以上を運営されているとのコトでした。
※過去記事を読んでない方に、弊社は結婚式やパーティー時に着用する女性用のドレスを作っています。
当時、会社全体で頑張って、何とか1億を超える売り上げを作れるところまでにはなっていましたが当然赤字。弊社の社長から指示されてる数字は倍の2億。
それを達成するには、より大きな会社様とのお取り組みが必要不可欠だと考えていた矢先だったので、個人情報ではありますがゴリ押しでその社長にお願いし、Y社のバイヤーFさんの名刺を見せていただき、メモ帳の最後のページに一語一句漏らさず、しっかりと記載させていただきました。
しつこい、折れない、諦めない
「Y社のFさんはとにかく忙しい方で本当に捕まらないで有名だから!」
と、その社長からアドバイスを頂いていましたが、何を隠そう私も一度決めたらとにかくしつこい!
当時自信があったとしたら、声の大きさと、倒産させないという執着心くらいだったので絶対に捕まえてみせる!しつこいで有名になってやろう!くらいの勢いで、以降Y社のFさん宛に毎日電話をする日々が始まりました。
結果、
前評判を遥かに超える捕まらなさ笑
しつこい代表の私クラスになると居留守とか大体分かるのですが、そんなレベルの低い話では無い。とにかく先ずは出張だらけなのと、稀に社内にいらっしゃっても会議や商談で全く繋がらない、、、
毎日電話するということも実際は本当に大変だし、こうまで繋がらないと諦めたくなってくるのですが、もちろん折れず諦めずにしつこく電話していると、ある日電話に出られた受付の女性から、
「Fは本日から南九州に出張です」
と告げられ、これはチャンスや!と、特にどちらのお店に行かれるご予定かを聞いたところ、おそらくイオン宮崎に入ってる店舗には行くだろう という貴重な情報をキャッチすることに成功!
考えるよりも行動、大至急洋服のサンプルと資料をバッグに詰め込み、宮崎県に向かって車を走らせました。
2009年10月31日 決戦地、宮崎
朝一番でY社に電話をし、それから直ぐに向かったので、宮崎に到着したのは13時30分を過ぎた頃でした。早速イオン宮崎にあるY社の店舗に飛び込みで訪問し、いらっしゃった女性スタッフさんに、
「突然の訪問申し訳ございません!F様が本日こちらにいらっしゃると聞いたのですが!」
とお伝えすると、
「本日か明日にいらっしゃると聞いておりますが、まだ見えておりません。」
とのご返答。
「かしこまりました!では、大変申し訳ございませんが、名刺をお渡しさせて頂きますので、ご来店予定が分かりましたら私の携帯にお電話頂けませんでしょうか?」
と厚かましくお願いをし、1時間ほどイオン内で待っていたのですが、来られる気配が無かったので、一先ず別の仕事の為鹿児島市に向かいました。
別の仕事が終わった辺りで固定電話から着信が入り、もしや!と思い電話に出ると、男性の声で
「もしもし、Y社のFと申しますが、、、」
「うぉー!初めまして、お電話有難うございます!!!私、ロダンの日永と申します!!!!!」
勝手ながら一方的に恋焦がれ連絡しまくっていた相手からの、突然のお電話!そりゃめちゃ嬉しいですよね!
しかしFさんからしたら、初めて存在を知る相手。しかも何故か自分がイオン宮崎に来ることを知っていて、更に先回りされているという超絶変態ストーカーっぷり。
当然怪訝な感じで、
「一体何なんですか?」
そう言われ、ハッと我に返ると思いきや、私のテンションは変わらずMAXで、
「かくかくしかじかで、とにかく5分でも良いので会っていただけませんでしょうか?今、鹿児島市内におりまして!本当5分で構いませんので!」
「今から1時間半くらいは宮崎の店舗にいますので、それまでに来れますか?」
「行けます!!!!!」
実際は法定速度で2時間くらい掛かるのですが、こんなチャンスを逃すことは出来ない。考えるよりも先に言葉を発し、とにかく猛ダッシュで宮崎へと戻りました。
なんとか時間内に辿り着き、初のご対面!興奮と緊張であまり記憶が無いのですが、しっかりとお話を聞いてくださり、なんなら店舗内の紹介や、売れ筋の説明、競合他社さんのお話までしていただきました。
もちろんその場でお取引きなんてことにはならなかったのですが、存在を知っていただき、ご本人から名刺もいただくことができました。
そしてそれ以降、少しだけ連絡が取れやすくなりました笑
残念ながらお取引き、、、
それから何度もご商談させていただき、厳しいご意見やアドバイスを有難く頂戴しながら、毎回社内で共有し、企画(デザイン・パターン・生地選び)に反映させて、商品のクオリティを上げることに全力投球していました。それと同時に、Fさんは新規の口座を2年開けていない※という事実も知りました。
※色々な会社から営業アプローチを受けるものの、ピンと来るメーカーが無く、ここ2年は新規で取引きを開始した会社が無いということ
そんな事実にも屈せず継続的にアプローチを続けていると、ある商談の際に今までにない手応えを感じ、Fさんからも
「御社とお取引き出来るかを、社内で検討してみますので少し時間をください」
と、今までとは違う前向きなお言葉を頂きました!
そして数日が過ぎ、出張先で寝泊りのために、ネットカフェのリクライニングルームで就寝のセッティングをしていた時に、まさかのFさんから着信が!(時間は確か、21時20分前後だったと記憶しています)
私は慌ててその場で電話を取ってしまい、口と受話器を手で覆い隠しながらいつもより少し小声で応答したところ、
「新規のお取引きの件ですが、社内会議で御社のブランドを提案しましたところ、、、残念ですがお取引き、、、、するというコトで決定しました。」
うぉーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!まじっすか??????有難うございます!!!泣泣泣泣泣泣
声を抑え気味に放ったつもりでしたが、速攻で店員さんが2名来て注意され、強制的に電話スペースに連行され、再度、有難うございます!!有難うございます!!と伝え、Fさんも少し意地悪そうに笑い、「今後とも宜しくお願い致します」と仰っていただき、今後のお取引きの流れをご説明してくださいました。それが、2010年の出来事です。
(ちなみに、残念ですが、、、のくだりは事実で、Fさんの茶目っ気部分です笑)
2億達成??
それからも、Fさんが繋がりにくい、捕まえにくいのは変わらず笑、私はFさんのFacebookやTwitter等を徹底管理し、呟いた場所や現在地を全て把握し、「今◯◯にいらっしゃいますよね?」「今からそちらに伺っても良いですか?」等、東京・名古屋・大阪・福岡・沖縄を中心に、とにかく全国各地をストーキングしまくりました。
商談も色々と思い出深いのがあるので少し記載すると、
・強引にアポイントをお願いしたところ、何時になるか分からないとのコトでしたので、大阪の某ホテル前で待ち合わせをお願いし、いつ来られても失礼にならないようにと、結果立ったまま3時間待ち続ける(体育会系)
・某ホテルのカフェで商談させていただいた際の、そこのコーヒーが1杯2千円超えで震えた(当時貧乏ネカフェ住民だったので)
・カフェ商談の際に、長時間の商談となり、飲食含めトータル11時間同じカフェに滞在(12時入店23時退店)。要するに、商談→ランチ→商談→お茶→商談→ディナー
・福岡空港にお迎えに上がった際、その日の商談で着用モデルが必要だったのですが、モデルが捕まらなかったので結果この状態で待ち伏せており、流石のFさんも空港のゲートから出てきて、こんな私がいて爆笑↓↓↓
※当時の再現画像です
こんな営業見たことないと、お褒め?の言葉をいただきました。
その他、カラオケやレンタルスペース、ホテルのエントランス、空港、路上、とにかく隙あらば色々な場所で商談していただきました。
そして、他のお取引先様の売り上げも少しづつ上がったのも含め、その期の売り上げはなんと!!!!
¥197,037,088 (1億9千7百3万7千8十8円)
2億円、ギリギリ達成ならんのかい!!
そして、ちゃんと赤字!!涙
しかし、次の期(2011年)は本当に有難いことに3億2千万円まで上がり、教科書通り売り上げの急増による、会社全体のスキル不足によりミスが多発し、Y社様を筆頭に多大なるご迷惑をお掛けし、その翌期(2012年)は2億6千万円まで落ちるも、しっかりと黒字に転換することが出来ました。
もちろん、当時お取引きさせていただいた皆様のお陰ですが、Y社のFさんと出会わなければ、弊社は確実に倒産していたと思います。
プライベートでもフジロックに連れて行ってもらったり、海外でもご一緒させて頂いたりと、本当にお世話になりました。
今は担当部署が変わられ、直接的なお仕事はなくなりましたが、相変わらず全国各地を飛び回られてご多忙の中、たまに食事をご一緒させていただき、色々なお話をさせていただいております。
この場を借りて改めて、Fさん本当に有難うございました!!!当時は色々と(洒落にならない事もあり)ご迷惑をお掛けしましたが、見捨てずお取引を継続していただき、本当に感謝しております。
そして引き続き、ご指導をお願い致します!!!