開運力について
こんにちは~
『開運霊学マスター』のしゅんしょう先生です。
2024年度の上期(4~9月)をめどに、新紙幣が発行されます。
財務省は、渋沢栄一を新一万円札の肖像に選びました。
その理由としては「傑出した業績を残し、新たな産業の育成といった面からも日本の近代化をリードして、大きく貢献した」という点を挙げています。
実は、当研究所は平成16年頃から「渋沢栄一翁」に注目し、そして、その研究(あくまで霊的な目的で学術的にではありません)をしておりました。
そして、平成16年には渋沢栄一翁の東京の渋沢史料館と渋沢栄一翁のお墓をお参りをしたこともあります。
この時は、偶然お墓を管理されている方と出会うことができ、特別にお墓の塀(門?)を開けていただきじっくりとお参りさせてもらったことを覚えています。
先ず、渋沢栄一翁とはどのような方だったのか昔の古牧温泉の渋沢邸のパンフレットからご紹介します。
ということです。渋沢栄一翁の足跡をたどると、まさに日本の近代の自由資本主義経済の基盤を作った人です。
私が平成十六年八月一日に古牧温泉に宿泊した時に「古牧温泉渋沢公園」内の渋沢文化会館を観光案内して頂いたガイドさんが一冊の本をとって「この本を読んだら運がよくなります。」と薦めてくれたのが渋沢栄一翁とその嫡孫の渋沢敬三氏に仕えた古牧温泉の初代社長の杉本行雄氏の成功物語を綴った「挑戦」(笹本一夫・小笠原カオル共著、実業之日本社)という一冊の本でした。
その本を霊的に見ると確かに特別な力が本の内容から感じられたのでその場で購入しました。
この一冊の本を購入していなかったら『開運力』探求の旅はなかったかもしれません。
この時を境に渋沢栄一翁の霊的探求の日を送ることになっていきました。
渋沢栄一翁のどこに私が驚き、惹かれたのかを一言でいうと比類まれな『開運力』です。
私の霊査によれば渋沢栄一翁が持つとてつもなく大きな善因縁によって現在も日本の経済を支えている大企業が沢山存在することが判明しました。
そこで、私は渋沢栄一翁が持つ善因縁はどこから来たのかを探ってみました。
するとその因縁は渋沢栄一翁二十七歳の時、一八六七年のフランスの万国博覧会に将軍慶喜公の名代として出席された徳川昭武の随行としてフランスそしてヨーロッパを回っている間に大きな変化があったことがわかったのです。
つまり、渋沢栄一翁の比類まれな『開運力』はこの時何らかの形で身に付いたのです。(まったく個人的な意見です)
このような良い事がわかれば、すぐにでも「その種の力を何とか手に入れる方法がないだろうか」と思うのが私の性分です。
それからは毎日昼夜を問わず一生懸命にあれこれ本を調べたりいろいろ拝んだりしていましした。
そして、青森から帰って三週間ほどした頃にやっと、その『開運力』を少しでも頂く方法がわかり霊的準備が出来たのです。
ここで、『開運力』について説明しておきます。
この言葉は私が勝手に名づけたものであることをお断りしておきます。
この言葉を理解するには「貧乏神」の作用を理解するとわかりやすいと思います。
貧乏神の影響を受けている人は、その人の考える事や行う事の対象の全てが悪い状況に瞬時に変化するものです。
具体的な例を挙げてみると、例えばお墓参りに行けば先祖に関係のある悪い霊を無理やり引きずり出してとり憑かれたりします。
愛する人を思えばその愛する人に縁のある不成仏霊を引き出して愛する人を病気や事故、あるいは人間関係などに多大な悪影響を与え人格を変えてしまったりします。
自分が何かを成し遂げようとすれば、必ず次から次へと障害に見舞われて人の何倍もの努力を強いられたりします。
旅行に行けば旅先で出会う人や土地から悪い霊を引き出して腹立たしい旅行や、つまらない旅行になったり・・・。
せっかく決まっていた銀行の融資が土壇場で断られたりもします。
人生の目標を持てば自分ではどうしようもない状況の変化によって目標の変更を強いられたりします。
個人的なことから自分の勤める会社や他人、天候等の自然現象迄も巻き込んで何から何までいい事が無く悪い流れに流されるままに不幸な人生を送るのです。
これが生まれてから、物心ついて十年、二十年とこのような状況下で生きていれば、この運の無さも日常の事なので本人は別段に「自分はなぜこんなに運が悪いのか」等と疑問を持つこともなく不幸な人生を送るのです。
以上簡単ですが貧乏神の特質を述べてみました。
それでは、『開運力』(善因縁・福の神)の作用はというと貧乏神とまったく反対の働きをするのです。
次号では、渋沢栄一翁の『開運力』の特質をよりわかりやすく説明します。
そして、その『開運力』を少しでも沢山頂くために行ってきた「ご神業の旅」について述べ、その実行によって具体的に私の何がどのように変化したのかを述べたいと思っております。