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「世界の街角」 5.ペルー         5.2リマ(Town No8)


(1)リマ旧市街歴史地区

 15世紀後半にインカ帝国を滅ぼし、広大な国土を植民地としたスペイン。
 スペイン人のフランシスコ・ピサロが、ここリマを南米征服の拠点として首都建設を始めたのが1535年のこと。
 市内を流れるリマック川からリマと名付けられ、ペルー共和国の政治、文化、金融、商業、工業の中心地となっている。

リマ市街スナップ

 町は旧市街セントロと新市街サン・イシドロ、ミラフローレスに分類され、それぞれにインカ帝国や植民地時代の遺跡が多く残されている。
 ピサロの母国である当時のスペインのマドリードを都市計画のモデルとして、碁盤目状に道路が整備され、サント・ドミンゴ教会やリマ大聖堂、サン・フランシスコ修道院など重要な建造物がいくつも建てられ旧市街セントロは1988年、歴史地区として世界遺産に登録された。
 まるでタイムスリップしたかのような景観の中を散策した。

■アルマス広場

 リマの行政や観光の中心地といえば、リマの歴史地区の中心にあるアルマス広場を散策した。
 1997年に、メイン広場を意味する「マヨール広場」に改称されたが、2003年に元の名前であるアルマス広場に戻された。
 広場の東には、リマ大聖堂や宗教美術館、その隣には大司教宮殿。
 北側には大統領府があり、毎日午前11時45分から衛兵交代の儀式が行われている。

広場のシンボル、噴水と平和の像
衛兵交代の儀式

■リマ大聖堂

 世界遺産であるリマ旧市街・歴史地区の中心に佇むこの美しいリマ大聖堂は、南米大陸最古の大聖堂だ。
 フランシスコ・ピサロが、植民地支配を本格始動するその拠点としてリマを建都したのが1535年。
 同時に、カトリック布教の中心となるカテドラルの建設も開始し、1540年3月11日、すでに完成していたその教会に初めて聖体が安置された。
 ペルーで最も重要な教会が献堂された日である。
 入ってすぐ右手の礼拝堂にフランシスコ・ピサロが眠っており、ガラスと大理石の彫刻で彫られた棺の墓碑銘に「リマ創設者でペルーの征服者ドン・フランシスコ・ピサロが眠る」と記されている。
 長年に渡り増改築が繰り返されてきたので、ゴシックやルネッサンス、バロックなど様々な様式が混在し、中南米の主要都市のカテドラルに比べると、華美な装飾を排したシンプルな大聖堂だ。

■サン・マルティン広場

 16世紀に造られたこの広場は、かつてはラテンアメリカに領土を広げるスペイン帝国の中心地であったが、1921年、ペルー独立100周年を記念して、ペルーの独立宣言を行ったホセ・デ・サン・マルティン将軍の名が付けられ、リマ市民の憩いの広場として復活した。
 精巧に作られた街灯、綺麗に手入れされた花壇に囲まれた広場の中心には、スペインの支配から逃れ、独立しようともがく南米諸国のリーダーとして活躍したサン・マルティン将軍の勇ましい像が立っている。

サン・マルティン将軍
市民の憩いの広場

■サン・フランシスコ大聖堂

 サン・フランシスコ大聖堂は、リマ旧市街にある教会と修道院の複合施設で、1988年にユネスコの世界文化遺産に登録され、その歴史的価値が認められた。
 1546年に建設が始まり、完成までに100年以上を要して完成したこの大聖堂は、その美しいバロック様式の建築と地下墓地で有名だ。
 「バロック様式」とは、16〜18世紀初頭にかけてヨーロッパ各国に広まった建築・美術・文化の様式概念で、豪華な装飾や曲線・楕円などのデザインを多く用いた、動的で華麗な装飾性という特徴がある。
 特に室内空間の複雑な構成は他の建築様式とは異なり、彫刻や絵画を含めた様々な装飾によって空間が構成される。
 この教会の外観と内部は、豪華なバロック様式で装飾され、特に、木彫りの祭壇や天井の装飾が見事だ。
 また、教会の地下には、地下墓地があり、約2万5千体の人骨が独特のパターンで収められており、訪れる人々に強い印象を与えている。
 大聖堂前の広場には、ハトが群がり訪れる人々の目を楽しませていた。

聖堂の外観(左)と内部(右)
聖堂前の広場

(2)プエブロ・リブレ地区

 プエブロ・リブレとは「自由な町」または「自由な人々」を意味する、その名称は、1822年4月10日にホセ・デ・サン・マルティンによって、ペルー独立戦争中に住民が示した愛国心を称えて付けられた。
 ペルーの首都リマの南西部に位置するこの地区は、中流階級の住宅コミュニティであり、リマで最も多くの公園があり、銀行、地元の私立大学、大企業のいくつかの支店もある中核都市だ。
 近代的な住宅に混って,スペイン植民地時代の建物や、国立人類学・考古学博物館,ラルコ博物館などがあり、訪れる観光客も多い。

■ラルコ博物館

「ラルコ博物館」は、7世紀のプレ・インカのピラミッド遺跡の上に建てられたモチェ文化の土器を中心に数万点の所蔵品を展示した博物館である。
 特筆すべきは、女性ガイドが「恥ずかしくて説明できないので勝手に見てください」といった別館にある「エロティックな土器を展示したギャラリー」だ。
 現在、写真撮影禁止となっているが、私が訪れた時には、18歳未満入場禁止となっていたものの撮影禁止ではなかったので、撮ったのが下の写真。
「見てみてビックリ」当時、性というものがいかに身近にあったかが想像できるが、こんな土器は恐らく世界中探しても滅多に見られないので、貴重な写真だと思う。
 十点ほど撮影したが、すべてを掲載するのはチョッと躊躇われたので、比較的マシな一点だけにした。

展示されている土器の一つ

■フォルクローレ

 フォルクローレとは、一般的に南米のアンデス山脈地方でインディヘナ達によって歌い継がれる民族音楽を指し、南米先住民のケチュア族とスペインの音楽とが混ざり合って生まれた混血の音楽をいう。
 ポンチョなどの民族衣装をまとって演奏していることから先住民族オリジナルの音楽と思われがちだが、ケーナやサンポーニャは先住民由来の管楽器、チャランゴ或いはギターといった弦楽器はヨーロッパ由来、など演奏に使われる楽器を見れば2つの文化が融合していることがわかる。
 有名曲は「コンドルは飛んでいる」、「花まつり」など。民族衣装のポンチョやケーナ、サンポーニャといった楽器もセットで知られている。

リマの空港では「コンドルは飛んでいる」が演奏されていた

■フォルクローレ・ダンス

 ラテン・アメリカはダンスの宝庫だという。とりわけペルーは各地にインカ時代に起源を持つ様々な民族舞踏があって、現地では盛んに踊られている。それらはフォルクローレ・ダンスと言って、雪を頂くアンデスの空のもと、赤く輝く民族衣装を身に纏って踊りながら、太陽と月、神々に感謝の気持ちを表すのだという。
 風の音、土の匂い、野の花の香りが漂い、笛の音が紫の山並みに響くインカ時代から踊られていたダンスだ。
 フォルクローレ・ダンスを鑑賞した。
 チャランゴ、マンドリン、ギター、バイオリン、アルパ(ハープの一種)など、スペイン系の起源を保つ弦楽器と、ケーナ、サンポーニャ、ロンダドールなど先住民系の起源をもつ管楽器などで演奏される軽快な音楽に乗って、民族衣装を着けた2人の男女が踊る。
 女性はコケティッシュな賢さを、男性は愛を表現しているという。 

 テンポが速く、自由気ままで明るく優雅で、踊りの中に男女の恋の駆け引きを表現しているそうだ。
 有名な「コンドルは飛んでいく」や「ウマウアケーニョ」などの軽快なリズムにのって踊るショーはなかなか見応えがあった。

軽快なリズムが心地よい

(3)ミラフローレス地区「アモール公園」

 ミラフローレス地区は、海辺の高級住宅街があるエリアで“新市街”と呼ばれており、リマの中でもとくに治安がいいエリアと言われている。

■アモール公園

 この地区で観光客だけでなく地元の住民にも人気を集めているのがアモール公園。
「アモール」とは、スペイン語で「愛」を意味することから、「愛の公園」とか「恋人たちの公園」と呼ばれている。
  1993 年のバレンタイン デーにオープンしたこの公園は、リマ湾と太平洋を見渡せる絶好の場所にあり、公園中央には、ペルー人アーティスト、ビクトル デルフィンの作品「エル ベソ (接吻)」がある。

「エル ベソ (接吻)」

 恋人同士が抱き合ってキスをしているこの彫刻のほか、カラフルなモザイク模様が印象的なベンチも人気の海岸公園。絶景を見にくる人、芸術作品を見にくる人、くつろぎにくる人など、楽しみ方はさまざまだが、とくに若いカップルに人気があり、夕暮れ時の定番デート スポットとなっている

絶景が見えるデートスポット


 

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