【日記】日記をつける意味を理解した
日記を書いたノートなんて捨てちゃった
私は片付けが好き。
無駄に物を持ちたくないので、読み終わった本は高確率でメルカリに出す。
この前、メルカリの評価数が100を超えた。いらない物をそんなに持っていたのかと驚いた。
しかも飽き性なので、始めたことは続かない。
なので、過去につけていた日記のノートもガンガン捨てた。
使わないものを手元に持っていてもしょうがないじゃん!というノリで。
持っていた物を手放せば、ソレを買った状況も同時に思い出さなくなる。
「この防水できる腕時計はジョギング用に買ったものだ。健康に気を付けようと決めたんだった…」
「このウイスキーはホテルで飲んで感動したものだ。あのホテルに行ったときはまだ祖母が生きていたな…」
なんてちょっとした思い出は、物を見れば思い出すけど、捨てればその記憶はいつか消えていくんだろう。
捨てた日記に何を書いていたのか、もう何も覚えていない。
過去のnoteを読み返して、日記の良さに気付く
そして、今。
なんとなく残していたこのnoteを見返して、日記の良さに気付いた。
日記って「過去の自分と対話をするため」に存在してる。
その時間は大事で、日記を書くのが好きな人がいるのも頷けた。
そろそろ「普通に」働こうかな?と思った矢先
現在、フリーランスで毎月チャリンチャリンとお小遣いを稼いでいるような現状。全く収入なしに近い状況。貯金はなくなる一方。(韻っぽい)
そろそろ、普通に会社勤めに戻ろうかなと思い始めた。
だけど、なんとなく残していたこのnoteの記事に、「退職後にどう生きていくか」という決意が書かれていた。(この記事やこの記事)
内容をすっかり忘れて、まるで他人の文章のように読み進んだ。
そうそう、もう会社で働くのが嫌なのよね。長くて意味がわからない会議も困っちゃったのよ。
「楽しい」を選びたくてしょうがない。
「普通」や「一般的」な仕事を選ばなかった人はこの地球にごまんといる。
そっちに行きたいって気持ちわかるよ私ー!
と、自分と対話できた。
この経験に「なんだこれすごいな!」と感動した。
自分が行きたい方向を思い出したけども…
私は自分の「楽しい」気持ちになれる場所を探していたんだった。
その気持ちをnoteを読むまで、すっかり忘れていた。
だけども、そこまでの勇気がまだないから、今の私は家にこもって悶々としている…過去に書いたnoteと同じような状態だ。大きな変化はない。
それでも、過去の自分の言葉を読んで、自分が向かいたい場所を思い出せた。
前向きに人生を「楽しむ」って決めたんだった。
この決意を残しておいてくれてありがとね過去の私。