
育った環境が思考を育てる
自立することを育む育て方をする
これがワタシが育った環境で
自己主張を大事にしてもらってきた
その主張をした後
どうしてその考え方になったのか一緒に考える
そういうやり方だったので
誰かの発言に
こう思いますって言うことを伝えると
それが“否定“と受け取られた時びっくりした
もちろん否定している気持ちは微塵もなく
一つの選択として伝えていただけだったのが
“否定“と受け止められてしまった
なんで・・・?しか出てこず
その後も聞いたけれど腑に落ちないまま時間だけが過ぎた
今回、ドイツやカリフォルニアで過ごして
その答えが見えた
自分が絶対で基準に置くと
それを外れた答えや言葉が求めるものではない場合
否定に入るということだったのだ
あー、そうなんだ・・・
それしか出てこなかったわけなのだが
その反面でその絶対基準だけで生きるってしんどくないのかな?
・・・とふと思ったのである
例えば、お金を払うとき今はいろんな支払い方法がある
キャッシュだけです!よりも
paypayだったりカードだったり、いろんな選択肢がある方が
その時に選びやすいよねと思ったのである
日本語に大は小を兼ねるという言語があるということを知って
窮屈な考えは選択肢も一つしかないということも微妙に納得できる
その時に誰かを妬んだり、恨んだり、羨望する感情よりも
自分ができることを見つけて自分の夢を描くように生きる方が
思い描く人生が手に入る
カリフォルニアの友人はシェルターに入るほど
両親から虐待というのを受けていたけれど
自分の人生を切り開いて今とても幸せに暮らしてる
親から受けたことは過去の出来事ではあるけれど
自分で切り拓くことはできるのだ
その方法を知らなくて悩んでいるならシェアはできるよね♪
友人はそういうサポートを自分の経験から仕事としている
とてもリスペクトできる存在だ
ワタシは日本でいう過保護に育っているので
そういう気持ちは実体験できなくても想像することはできる
必要以上に手を出さない
これがワタシたちのなかのサイレントサポートだ
それがしあわせの伝染✨