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俺は見たんだ 日本の最後の姿を

1984年 大学三年生だった
キャンパスがある、お茶の水の街は、いつも人でごった返していた
そこら中に建築工事現場があって、大きなクレーンが立っていた
気が付けばいつの間にか高層ビルに建て替わっていた
しばらく行かなかった街は、見間違うほど景色が変わっていた
テレビのニュースでは
東京の土地価格で、アメリカ本土の全部の土地を買ってもお釣りがくるとか
日本でしか作れない製品が次々と生み出され
やがて産業、市場を支配するだろうとか
今この時、日本という国が世界の頂点に立たことを高らかに謳っていた
秋葉原の電気屋に行けば、最新の家電を買い求める客でにぎわい
売り場に並んでいるのは当然ながらすべてが日本製
世界の市場を席巻した日本製
SONY Victor Pioneer SANYO National AIWA TOSHIBA MITSUBISHI HITACHI 
それが当たり前だった
これほどの高品質の製品を作れるのは、日本人以外にできる訳はないとさえ思っていた
産業のコメ、半導体の世界シェア、日本製が席巻した
高性能な工業製品を作ろうと思ったら、日本製の半導体を買うしかなかった
自動車レースの最高峰F1、HONDAエンジンを積むマクラーレンが
16戦中15勝 HONDAを手に入れなくては勝てないとまで言われた
F1のスター、音速の貴公子、アイルトン・セナが本田宗一郎とワールドチャンピオンの名誉を抱き合って喜ぶシーンをニュースで見ていた
NHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」当時放送された内容を
要約すると、日本国内のメーカーが熾烈な開発競争を繰り広げた結果、技術は世界の最先端を行き、ふと気が付けば世界のだれも追いついてくるものはなかった、孤高の頂点に立っていた、そんな内容だった
キャンパスの帰り、帰宅のバスを待っていた時のこと、そのバス停はお茶の水橋の上にあった、橋の下は神田川、中央総武線、橋の北は順天堂、日本医科歯科、南はキャンパス群、東京の文教の中心だ
俺はそのバス停に立っているとき、いつも底知れないバイブレーションのようなものを感じたんだ
ゴーという、振動とも地鳴りともいえぬもの
世界のトップをとった東京というモンスターの雄たけびのような
世界の中心、24時間決して眠らない東京で、休みなく突っ走っていく、そこで生きてる日本人全員から放たれた怪物のような放射エネルギー
俺はそれを聞いて震えた
世界の頂点に君臨する日本の首都に生まれたことに
そしてその経済に社会人として、まもなく飛び込んでいく覚悟に
そしてこの先に待っている日本の将来に
その夏のお盆休み、真夏の暑い夜に
見ていたテレビが突然中断、画面はしばらく静止画に、そして緊急放送に
日航機123便消息不明、誰が仕掛けたのか
翌年、プラザ合意、戦後40年にして、再びアメリカに敗北した
その権謀術数に敗れ、アメリカの足元にひれ伏した
その日から日本は坂道を転がり落ちるように、マイナス成長へ、経済国力は音を立てて瓦解、いまや後進国に肩を並べるまでに衰えた
半導体の作り方を台湾に倣い、家電もスマホも中国製
これ以上は言うまい、皆も知っている通り
俺はの時、日本の最後の姿を見たんだ、背中で泣いてる日本の後ろ姿
それに立ち会ったというだけで幸せだったというべきか

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