きらきらひかる/江國香織
書物巡礼
「きらきらひかる」
江國香織
「あいつと結婚するなんて、水を抱くようなものだろう」
「さっきまであんなに気丈だった横顔が、もうたよりなくゆがんでいる。白くて、小さくて弱々しい。彼女をおいつめているのは僕なのだ、と思った。ひどくせつなかった。」
「どうしてこんなにこじれてしまったんだろう。私は睦月と二人の生活を守りたいだけなのだ。失うものなんて何もないはずだった、私たちの結婚生活。何かを守るなんてこと、私は睦月と出会うまで考えたこともなかった。」
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「自分らしさ」という言葉の、なんと窮屈な事よ。
“あなたの個性“という箱のなかに互いを押し込め、そこからはみ出そうものならもう針の骸、非難めいた眼差しとヒソヒソ話で四方八方取り囲むのだ。
イメージと違うそんな人じゃ無かったのに何だか裏切られた気分、と、あなたにしかやれないことってなに他人と違うところアピールしなきゃ誰某とキャラ被るよね、のラリー戦。
自分らしさ、いやもうそもそも生まれた時から違う個体だよね私たちみんな、似てると同じの間にある空間に気付いてるかな、違いを求めるのに分からないものは嫌いなんだね、結局自分の都合良いようにコントロールしたいだけなんじゃない......
「きらきらひかる」の主人公の笑子と睦月は自称“スネに傷持つもの同士”。笑子はアルコール依存症、睦月は同性愛者で恋人もいる。
互いの事情を理解した上で始まった結婚生活。人間として抱く愛情で人生を分かち合っていきたい、だけど世間はそれを許してはくれない。「結婚」というフォーマットに当てはめた幸せをなぞるようにと笑子と睦月を促すのだ。
この小説が発表されたのは1994年、生き方の多様性は今よりもっと受け入れ難くジェンダー差別も露骨だったように思う。笑子と睦月のような人生の選択はかなり異端で「非常識」だったのだ。
私が初めてこのお話を読んだのは高校生のとき。他にも江國さんの作品を拝読したがこれがダントツに好きで定期的に読み返している。アル中で情緒不安定な奥さんと同性愛の旦那さんとその恋人の青年の織りなす暮らし。当時10代のわたしには御伽噺のように遠く、それなのに身に染みるようにリアルに感じられた。
自分という個性を着崩すことなく身にまとう覚悟と、互いを思いやり用意された世間の常識に着替えてしまおうとする葛藤。その揺らぎが笑子目線・睦月目線で交互に描かれている。
大学には行かない音楽を仕事にする、と息巻く自分と、大学は行っといた方がいいよ芸術で食うのは無理だと思うよ、という周りの声。
今思えば自分のその状況を重ね合わせていたのかもしれない。
2021、“こうあるのが幸せ”という枠組みがだいぶほぐれた一方で“ここからはみ出すなら容赦しない”という監視欲は高まっている。
私もそういう世間の尺度にしょっちゅう振り回されそうになる。けれど結局自分の人生、だーれも責任取っちゃくれないのだ。
34年幸枝って人生活動して痛感した。自分の気持ち抑え込んで即席の幸せにはめ込んでも待ち受けるのは途方もない不安と虚しさなのだ。
“否”の声が聞こえやすい時代だから難儀なことも多いけれど、できるだけみんなが自分を楽しめたらいいよなと心から思う。それにはまずわたし自身がそうでありたい。
笑子さんと睦月さんに会いたくなって最近また本を開いたわけだけど、なるほどこの気持ちを思い出したかったんだな。
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