書物巡礼
「キッチン」
このお話はとても好きなだけに、どこからどこまで綴ろうかと悩みながら書き始めているわけですが。
そういえば、"うっとり"ということばに惚れたのはこのお話がキッカケだったのだろうなぁとおもいます。
物語の冒頭で出てくる「本当につかれはてた時、私はよくうっとりと思う。いつか死ぬ時がきたら、台所で息絶えたい。」
という一文で使われる、"うっとり"という一語が匂わせる脆さと色気。"死ぬ時"の話をしているはずなのに妙なロマンスと輝きに包まれてしまう。
唯一の身内であった祖母を亡くした大学生の主人公と、主人公に手を差し伸べるとある青年とその母親の織りなすこの物語。
大切な人の死や孤独が主なテーマにありながらも、全体を通して朗らかで瑞々しく眩い光に照らされているのはきっと、作者の吉本ばななさん自身の人間性であり執筆当時の若さがそうさせるのだろうなとおもうのです。
熱心に読んでいた10代の頃はその魅力の理由がぼんやりとしか分からなかったけれど、大人になって読み返すと「あぁそうか」と納得することが多々。
そう、その延長でひとつ。この物語の中で出てくる
「でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。」
ということばの意味と素敵さが、この歳になって、それなりにですが経験を積んで、
やっと分かってきました。
息ができないと思うくらい、もう二度と心から楽しいと感じられないんじゃないかと思うくらい、傷付いたり悲しくなったりしても、ひとつずつ見つめ直して受け入れて、心のなかで「ごめんね」とか「ありがとう」とか「大丈夫」とか繰り返していくうちに、見えてなかったものが見えてきて、やるべきことがやれるようになってきて、そうしてるとそのうちに乗り越えた分だけちゃんと楽しいことがやってきてくれる。
そうゆう日々の繰り返しで少しずつ強くなっていくし、自分のことも誰かのことも許せるようになって受け入れられるようになっていくものなんだなぁって自分なりに思ったりしているのです。
当たり前に完璧じゃないわけですが、でもそこも含めてとことん自分や他人と付き合っていきたい、です。
ホントはバスのくだりについても語りたいのだけど、、、もう際限無くなってしまいますね。ダメだ。
取り敢えず、私もバスや電車で己のセンチメンタルに出くわし涙することがままあります。という恥ずかしい性分だけお伝えして今回は筆を置かせていただこうかと。
追記
この本に収録されている「ムーンライトシャドウ」もとてもすきなので、また徒然と書かせていただきます。
それでは。
#書物巡礼
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