書物巡礼
『宇宙兄弟』
自分に折り合いをつける、という作業を一体どのくらい繰り返してきたのだろう、と考えてみる。多かれ少なかれ恐らくきっとそれは誰にでもあって、容姿や性格など身の回りのことから、人生の野望や夢まで数限りない。
私が人生で最初にそのギャップの擦り合わせをしたのは小学生の時分だったと思う。
私は「朝礼で貧血をおこして倒れてしまうかよわい子」になりたかった。
当時の親友のまいちゃんが正にそのイメージど真ん中だった。色白で華奢でかわいくて、暑さに弱くて。クラっと倒れては保健室へ先生と共に消えていくのだ。良いなぁ、どうにか私も貧血ってやつになってうずくまってクラスメイトに心配されながら保健室のベッドへ運ばれていく術がないかなぁ、と真剣に悩んだものだ。ところがどっこい、現実の私はというと、小学一年から空手を習い、師範だった父と毎日鍛錬を重ねていたので有り余る程の体力に恵まれ、灼熱地獄の道場で汗だくで練習を重ねたおかげでどんな暑さにも耐えられる根性もバッチリ。おまけに沖縄の血が流れてることもあり、小麦色の健康的な肌と”かよわい”というワードが全く当てはまらない立派な意思強い眉毛を携えていた。
どんな手段を持ってしても、私はかよわい子にはなれない。まいちゃんと自分を日々見比べながら少しずつ悟っていった。”折り合い”の哀しきスタートヒストリーである。
大人になっていく段階、あるいは大人になり社会に出て、自分が井の中の蛙だと思い知る。心の摩擦を繰り返していくうちに、やんわりと諦めや見切りの気持ちが生まれてきて「自分には無理、叶えられない。」ともう1人の自分がささやくようになる。
「宇宙兄弟」の主人公南波六太が宇宙飛行士の夢を諦めた時も正にそんな感じで、周囲からの「なれるわけねえじゃん」の空気に反発しきれず、自分の夢にそっと蓋をしてしまった。
物語は、そんな彼が会社をクビになり、昔兄弟で誓った宇宙飛行士の夢を見事叶えていた弟・日々人がその事実を聞きつけ後押しをすることにより、もう一度六太も同じ夢に向かって挑戦するところから始まっていく。
六太氏は保守的で慎重派なので、最初の頃はなにかと「俺はきっとダメだ」とネガティブ思考に傾いてしまうのだけど、心の中でずっと消えることのなかった「宇宙が好き」という気持ちが彼の次の一歩の原動力となる。
無理かもしれなくても、自分の身の丈にはあってないかも知れなくても、自分の本当の気持ちには逆らえないし、逆らっちゃいけないんだと、彼の頑張る姿に毎度ウルウルしながら心底思った。
夢を叶えるために自分の能力を知ることはとっても大切。だけど、それを言い訳の材料にはしちゃいけない。
自分の身の丈のことばかりに思考回路を働かせて自分の本当に望むことに素直になれないのなら、そんな思考回路捨てちゃえば良い。
夢は叶うよ!なんて軽々しく言うような人は信用ならないと思う。夢追い人の私ですら「はぁ?」と思わず睨みつけてしまうだろう。
だけど、努力し続ける限り残る1%の確率と、努力をやめることによって0%になる確率。
この差は、数字では表せないものスゴイ隔たりがある。
夢を諦めた高校生の六太が、
「お前なぁ、「絶対 絶対」とかる〜く言っちゃうけど、世の中に絶対なんてないんじゃねーかな」と投げかけた時、日々人は
「そうだな、世の中には"絶対"はないかもな。でもダイジョブ。俺ん中にはあるから」と返答した。
私の中にもきっとある、”絶対”。
六太と一緒で、すぐに不安になったり尻込みしたりしちゃいそうになる私だけど、逃げずに向かい合っていきたいな。
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