やりたいことを叶えて2022年を終えるために時間を作ることを改めて意識する
サウナの中で数を数えて、別のことを考えて、また数を数える。
そんなことを繰り返していたら、今朝のセッションで話題になった、自分の1日を円グラフにしてみたら、今の自分は何に時間を使っているのかが気になった。
時間をどう使いたいかなぁ。どのくらいやりたいことのために時間が取れる日々を過ごしているのだろう。
今の自分は何に時間を使っているのか、使いたいことに使える時間はどのくらい残されているのか?
平日の私の時間で考えて見る。まず必ず固定的な発生しているのが、仕事の時間。9:00-19:00くらいが基本で残業するかしないかはその時次第。残業なしとしてもすでに10時間が仕事に使われている。恐るべし…
そして睡眠時間。Ouraringによると私の平均睡眠時間は7時間くらいらしい。
恐ろしいほどに私の時間は固定的なもので占められている。もう残りは7時間しかない。
そして通勤するときは2.5時間は通勤に持っていかれるし、化粧したり着替えたりを含めれば3時間。あっという間に私の自由な時間は4時間になってしまうし、何なら夜お風呂に入るとご飯を作り食べることで2時間はかかりそうなので、残りは2時間だ。
こうやって考えていくとあまりにも自分の自由な時間って少ないなと思う。2時間しかないら残りの時間を今何に使っているか?はたぶんコーチングに使っている。
セッションを受けたり、したり、振り返ったり。そんなこんなであっという間に2時間は経ってしまうのだ。
こんなふうに冷静に引き算していってみると、自分がやりたいことができてないっていうのも当たり前だな、なんて思う。
本を読みたい、ゲームがしたい。漫画も読みたいし、ストレッチもしたい。全部やるにはあまりにも時間が足りていなかった。
そして今新たに固定的にしたい時間も出てきた。3月に向けてランニングをしたい。というか着実にやっていかねば体が壊れる。
どうにかして時間を捻出しないともうやってはいけないバランスになっていた。
理想を少しでも叶えるために削れる時間はあるか
引き算で考えるとあまりにも少ない私の時間だけれど、やりたいことは多い。嘆いていても始まらないから変えられるところから変えていくしかない。
時間は等しく与えられているもの。だけど時間は作ることもできる、そう信じている。
やりたいことがある、だから削れる時間を削って時間を作る。そのためにまず通勤をやめてみようと思うのだ。
フルリモートで働ける、けれど、集中できないから家を出て通勤している。これはもう限界だなと思う。やりたいことをやるためには通勤をやめねばなり立たない。
やりたいことをやるために、家で甘えてしまう自分自身を戒める。それを対価に2時間半の自由に使える時間を手にできる。これはもう頑張るしかないよなあ、と思う。
この2時間半の時間を何に使うか?でいうと、1つはランニング。1時間くらい使う。そして残りは今通勤中にしたためていたnoteを書く時間にしたい。
こんな風に必要なことを叶えるために何かの時間を対価に自分の時間は作っていけると思う。時間がないことを嘆いているといくらでも嘆くことはできるし、その嘆きに切はない。
でも時間を作ることができるかどうかは自分次第でも変えられる、そう信じている。
やりたいことをする時間のために自分で変えられること、変えたいこと
時間の総量は変わらないけれど、使い道と質は変えられる。何に使いたいのかを考えて使いたいものに本当に使えるように、優先順位をつけることが今キャパシティがマックスになりつつある私には必要。
本当にやりたいことをやるためにであれば、きっと使える時間を増やすことはできると思う。やりたくないことのためにならばつらいけれど、やりたいことのためだったらつらさは半分以下だと思う。
あとは質を変える。同じ時間を使うにしてもどのくらい意味のあるものになるのか、成長につながるのかは自分の意思次第だと思う。せっかく自分の時間を使うのであれば、そしてそれが誰か別の人の時間もかかわることなのであれば、意味のあるものにしたい。
なんとなくで使う時間は減らしていきたい。
その時間を振り返ったときに何だったんだろう。。。と思うような時間が減らせるように、何にでも興味を持つのはいいけれど、きっと取捨選択も必要だし、その場への臨み方だって重要だ。
そうやって自分のやりたいことにつながる場を選択し、その場に集中して、振り返りまでしていれば、時間の質はぐんぐん上がると思う。
時間の使い方マスターになりたい。そしてうまく時間を使って自分の夢を実現させていきたい。それが今の私の思うこと。10月から12月に向けてどう時間を使って2022年を駆け抜けていくのか、いきたいのか、常に意識しながら日々を過ごしていきたい。
2023年が始まったときにちゃんと時間使えてたな、意義あったなと思える年始を迎えられるように、自分にもかかわってくれる人にも意味のある時間を過ごしたい。