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日本のお葬式での不思議体験

(遺体の話があるので気をつけてください。)
 
私の父は87歳で亡くなった。ヘビースモーカーで特に健康に気を使っていたわけではなかったので、男性の寿命を全うしたと言っていい年齢だ。
 
危ないと聞いて、カナダから8日間の予定で日本に帰った。
 
朦朧としている父の意識が1日だけはっきりして、私たちは言葉を交わした。そして父は息を引き取り、私はお葬式まで済ませることができた。
 
海外在住者は、親が病気の時にそばにいることができない。危篤と聞き日本に帰ったら、親は子どもの顔を見て元気が出たのか、一旦持ち直したようなのでそれを見届けて帰ると、海外の家に着いた途端亡くなったと連絡が入り、またとんぼ返りで日本に帰ると言う話をよく聞く。
 
私が日本滞在中に父を見送る事ができたのは、言い方はおかしいがかなりラッキーだった。
 
葬儀屋さんとの交渉の場で、母は高齢、姉たちはオロオロするばかりなので、葬儀屋さんはターゲットを私に絞って交渉してきた。多分、葬儀屋の営業さんは、取り乱す家族の中で一番しっかりしてそうな人を見分ける嗅覚を持っているのだろう。
 
日本を出て15年以上。家のことは何も知らない私が葬儀屋さんと交渉することになった。
 
私には日本の葬儀は「不思議の国の出来事」のようだった。
 



 
葬儀セットはいろいろなレベルがある。おおまかに、家族葬、一般葬、社葬があった。(他にもいろいろあるようだが省略する。)
 
気がかなり動転している姉の1人が、会社を経営していた父のために社葬をしたいと言い出した。一瞬葬儀屋さんの顔がパッと明るくなった気がした。社葬の費用はべらぼうに高くつくからだ。
 
引退してから20年以上経つ父を社葬にしたところで、いったいどれだけの人が来てくれるのだ、と皆で姉を説得して一般葬にすることにした。もちろん葬儀屋さんはがっかりしたようなそぶりは見せない。家族で意見が分かれることは見慣れているのだろう。
 
一般葬でも祭壇の大きさに「大中小」がある。私は「小」を選んだが、葬儀屋さんがサービスで「中」にしてくれると言う。これも最初から組み込まれたアップグレードなのだろうか。
 
葬儀屋さんはプロで、家族を嫌な気持ちにさせないようにという気配りがあり、交渉はスムーズに終わった。
 



 
日本の葬儀は祖父母で体験していたので大体のことは知っていたが、私がもっとも驚いたのが湯灌(ゆかん)であった。これは祖父母の時にはなかったし、交渉時には説明されていなかった。
 
女性2人がうやうやしく、父を、持って来た移動式浴槽で洗うのである。
浴衣で隠された、動かない父の体が洗われているのを見ながら、遺族は棺に入れる蓮の花を紙で作るのである。近年葬儀に加えられた新しいイベントなのだろう。
 
私は蓮の花を作りながら、このサービスはいくらかかっているのだろう、とぼんやり考えていた。父の体が、サービス料金の上乗せのために使われているような、妙な気持ちになったのは事実である。
 
通夜、告別式、火葬、骨上げと滞りなく葬儀は終わった。
 
私は日本の骨上げほど残酷な儀式はないと思っている。数日前まで生きていた人の、人体の形が残っている熱いお骨を遺族に箸で拾わせるようなことを何故させるのだろうか。
 
私は骨上げは辞退したが、親族の誰も文句を言う人はいなかった。
 



 
「葬儀は誰のためにあるのだろうか?」と、この時ほど真剣に考えたことはなかった。
 
このような商業的なイベントはほんとうに遺族に必要なのか。
 
カナダ人の義父が60代で亡くなった時、故人の遺志で葬儀はしなかったし墓もない。それでも、私は落ち着いた気持ちで義父にお別れすることができたし、優しかった義父のことはよく思い出す。
 
それと比べてしまう。
 
ただ、「自分の葬儀と墓は無用」と、すでに夫や子どもたちには言ってある。


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