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明日あなたの命が尽きるとしたら何をしますか?

私の人生は、割と波乱万丈組だと思う。
今は元気に前向きに生きているふりをしているが、守るべき家族がいなければ、いつ死んでもいいと思っているし、生きていることの意味なんてないと思っている。
ちょっとしたきっかけで、今死んでもいい、死んだ方がいいと思うことなんてしょっちゅうだ。

私の人生なんて、誰も聞きたくないだろう。
私の苦しみなんて、誰もわかってくれないだろう。
私の存在なんて、生きている価値なんて、ないに等しいのだ。

気持ちが落ちてしまえば、自分の存在なんて、アリよりもちっぽけで、生きていることすら人の迷惑になってしまうのでは、と思う日々の連続だ。

今日という日を生きているのは、守るべき存在と勝手に思っている家族がいるからであって、それもちょっとしたきっかけで、小さな信頼の失墜でいつ壊れるかもわからない。
そんな恐怖の中で日々を過ごしている。
生きていることが、修行のような日々なのかもしれない。

こんなことを言っていると、今いる家族に申し訳ない気持ちになる。
こういう思いを吐露することは、家族に重い十字架を背負わせることにもなるかもしれない。

私だって、毎日に楽しみがないわけではない。
今している仕事は天職だと思ってやっているし、副業もしたいことをただただ続けているだけだ。
好きなアイドルがキラキラとテレビで踊っているのを見たり、長年の苦労を経てデビューしたという話を聞いて、心から良かったと思うし、かっこいいと思うし、いろいろな人に希望を与えているな、私にも生きる希望をくれているな、と毎日思っている。
仕事や家族とのやり取りを通じて、自分を必要としてくれる人がいて、と勝手に思いながら、今日という日をただただ生き延びている。

ここまでは、ただただ私のどす黒い感情を垂れ流しただけだが、タイトルにした「明日命が尽きるなら、何をするか」ということに触れてみたいと思う。

もし明日死ぬのがわかっているなら、やっておきたいことはある。

その中で一番に思うのは、実父に会うこと。
うちの両親は若かりしときに離婚しており、私自身は19歳の時に実父に会ったのが最後だ。
実父に対し特別な感情もないし、特別良くしてもらったとか、そういう記憶もない。
かといって、私は100%母を信頼しているわけでもないし、むしろ母に対しては失望をいただいている部分もある。
別に、実父に会って何をしてほしいとか、ないんだけれども、19歳の時に感じた「あ、あんまり好きなタイプではないわ」という思いが、今ならどういう風に感じるのか、といった怖いもの知りたさの部分と、中途半端にSNSでつながっている関係性について、自分の中でけりをつけたい気持ちとか、とにかく複雑な気持ちがあったりする。

きっと、この文章を公開したとき、私はXで拡散するから、父の目にもこの文章は目に留まるはずだ。

19歳の時に久々に会った時のDNAを確実に感じた見た目と、その後のやり取りで感じた失望。
それは現実で、結局その後連絡が途絶えたのは、心の奥底にあった私自身の父に対する失望の念だったのかもしれない。
それでも、捨てきれない何かが、数年後にSNSでつながったことに関係しているのだろうと思う。

父のことばかり書いているが、私は一緒に暮らした母にも失望している。
母は、母性より女性を優先した人だと、今でも思っている。
私からすれば母は加害者もしくは傍観者であるけれど、母にそんな意識は毛頭ないと思う。
詳しいことはここには書かないし、もう書く気もないかもしれない。

私が結婚して子供をもうけた時、一番に思ったのは、私は絶対にこの子の母であろう、母としての人生を全うしよう、ということだった。
私の第一子は娘だ。
この子は何が何でも絶対に守る。
今もって、その思いで生きている。

第2子、第3子は男子で、私の中では十分に愛情をかけているつもりだけど、娘に対する愛情と息子たちが感じる愛情には、もしかしたら差を感じている可能性はある。
娘に対する思いというのは、私の経験からくる特別な思いがあり、子供たち自身に愛情の差は一ミリもないけど、女の子だからこそ、という無意識が働いているかもしれない。

いや、よく考えてみれば、私の歴史において起こった事件は、男性であっても起こり得ることであるし、かわいいかわいい息子たちにだって、いつ火の粉が降りかかるような事態に遭遇するかもしれない。

とにもかくにも、私の大切な大切な家族が、不要な苦労をすることなく大人になり、自分のしたいことや自分なりの生き方を見つけて自立していけることこそが、私の人生の喜びであり目的であったりするのだ。

話は脱線したが、私が死ぬまでにやりたいことなんて、実際はちっぽけなことだ。
実父に会いたいなんてことだって、私がDMで会う約束を決めればいいことだ。
あとのやりたいことなんて、推しに会いたいとか、そんなこと。

こんなちっぽけなことを大げさに書いて、自分が誰に何を伝えたくて、ただただこんな文章をつづっているのか、自分でもわからなくなっている。

私の中の小さな小さな私は、何を求めているのだろうか。

ただただ自分という存在をありのまま愛してほしいとか、
こんなかわいそうな私を見て、とか、
そんなつまらないめんどくさい人間なのかもしれない。

ここまでいろんなネガティブな感情を、ただただつづってみたけれど、
私は今日も元気で、明日死ぬなんてこともなく、
家族や周りの人間には明るく振舞い、
今日も最近の推しを見ては一喜一憂して、
楽しく毎日を過ごしています。

明日もまた同じ毎日を過ごしながらも、
大切な家族の笑顔を守りながら、
必死に生きて、もがいて、一日を生きていくと思います。

そんな、めんどくさい、人間なんだと、今日も自分に絶望しながら、
ポジティブな仮面をかぶって、
明日も生きていきます。

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