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〈小説〉 平成最後の花火

月に一度の約束の前日、メッセージを送信すると父からすぐに返信があった。
行きたい店があるなら調べておきなさい、一緒にまわろう。
父からのメッセージを既読にしたまま、スマホに充電ケーブルを繋いで眠った。

ダメもとでただひろを花火大会に誘ったらあっさりOKをもらった。
それで慌てて押し入れの奥から引っ張り出した浴衣を羽織ったら、丈が短くて焦った。去年は花火大会には行かなかった。友達に誘われたりもしたけど、気分じゃなかったのだ。おととしは着られた浴衣が今年はもう小さくなっていた。
それで父に「浴衣がほしい」とメッセージを送った。わがままを言うのも親孝行だって友達が言ってた。こんなのわがままのうちに入るかどうかはわからないけど。

待ち合わせに遅れていくと、父がドトールで待っていた。
タバコくさい息。
誰かに見られたら、援助交際と思われるかもしれない。こんなきたないおじさんと。
「何か飲むか」
「いらない」
「じゃあ行くか。浴衣買いに」
うん、と頷くと父はまだ中身が入っているアイスコーヒーが乗ったトレイを返却口へ運ぶ。
人で溢れた暑い交差点を渡る。前を歩く父が時々振り返りわたしとの距離を詰めようとする。
父が歩き出すとわたしは離れる。振り返り父が詰める。それを繰り返して百貨店に入る。冷蔵庫みたいに冷えた店内。
呼吸が楽になる。
「エスカレーターでいこう」
わたしが言うとエレベーターに向かおうとしていた父が振り返りわたしのあとを追いかけてくる。
「若いな」
父の言葉を無視してわたしは浴衣売り場の階まで振り返らずに登る。
ただひろにあったら、告白しようと決めている。
花火大会の日。
ずっと好きだったのだと、上目遣いに照れながら告白する自分が一番可愛く見える浴衣はどれだろう。
ハンガーにかけられた浴衣を次々に手に取る。
浴衣がいいと思っても、セットでついている帯が気に入らなかったり、これにしようと思い鏡であわせてみると似合わなかったり、思っていた以上に時間がかかった。
父は少し離れて見ている。
何にも言ってくれないの? 言われたら嫌だけど言わないのもなんかちょっと。
二つに絞って店員のお姉さんに相談する。
「どっちもお似合いですけど、こちらのほうが大人っぽく見えますね」
大人をはじめることに決めた。父を手招きして呼び「これにする」と報告する。
「こっちにすると思ったよ」とわかったような顔で財布からカードを出す。
それから髪につける飾りと、カゴの巾着と、草履を買ってもらう。全部でいくらかは計算してない。「ありがとう」はその都度ちゃんと言った。
レストランでケーキセットを食べ、外に出てからアイスを買ってもらい、食べながら歩いた。
「バイバイ、お父さん」
父は笑わない。
暑い。
もう、何にも考えたくないくらい暑い。
浴衣は重いけど、手に入れたことが嬉しくて紙袋の重さは気にならない。

「いつまで会わなきゃならないの」
家に帰ると母が麦茶のパックを沸いたやかんに入れるところだった。
「成人するまで」
首に巻いたタオルで汗を拭きながら母は答え、紙袋を見る。
「約束したのよ。お父さんはきちんと約束を守っているんだから」
クーラーのリモコンで設定温度を下げる。一度下げるたびに『ピ』と可愛い音がする。
「なんの? 誰のための約束? 会うのはわたしなのに、わたしが嫌だって言ってるのに……」
リモコンを投げつけるようにテーブルに置く。
「浴衣買ってもらったんでしょ! 都合のいいように利用しといてよく言う」
「は? ムカつく」
なんで中身知ってるの。わたしの知らないところで交わされた父と母のメッセージ。
世界は狭い。狭すぎて窮屈。
トラップみたいに見えない線でどいつもこいつも繋がってる。
早く大人をはじめたい。

待ち合わせに30分も早くついてしまって、どこにも涼む場所がない。
扇子も買ってもらえばよかった。ハンカチであおいでも生ぬるい風が動くだけ。
ただひろも10分早く来てくれて助かった。
でもなんで浴衣姿の私を見て一瞬困った顔をしたんだろう。
慣れない草履は上手く歩けなくてせせら笑いみたいに鳴る。
土手の階段を人混みのなかゆっくり登っているとただひろが「歩きにくそう」と笑った。
「もう脱ぎたい」
手をひいてほしいのに。
発電機の音。甘辛いソースのにおい。
連なる屋台の光。誰かを呼ぶ声。
ただひろが買ってくれたカップに入ったから揚げ。
水滴で濡れたペットボトル。
砂利とコンクリート。
並んで座る。
おしりが痛い。

「好きな人とかいるの?」
「いるよ」
言ったきりただひろは黙る。風がやむ。横顔に緊張が走る。
ちょっとまって、それ、わたし?
いるよって言葉が、もしかして告白?
心の準備。
「フラれたけど」
想像の斜め上。
頭ん中はてなマークだらけ。
「東京行っちゃった。その人」
「そうなんだ」
『好きな人=わたし』の『わたし』の部分をぐしゃぐしゃに消して、『知らない誰か』に急いで上書きする。脳内ビジー状態。
「でもまだ諦めてない。おれもいつか東京いく。おまえは?」
「あー、わたしも、フラれた」
ははは、とただひろが笑って、わたしもあはははって笑いながら「今」って言う。聞こえないように、小さく。

「東京か。いいね、夢があって」
「夢っていうか、目標。あ、はじまる」
どこからかカウントダウンの声が聞こえ、わたしたちは空を見る。
すうっと登る細い光の先に突然開く閃光。
打ちあがるたびに明るく照らされるただひろの顔。
視線は花火を見ていたり、見ていなかったり。
シャツから伸びる日焼けした腕。筋肉。
時々こっちを見て「綺麗だな」なんて笑わないで。
生地のかたい新しい浴衣。お腹が苦しい。ううん、胸。ちがう、心。
「上から見ても花火って丸いの、知ってた?」
「そうなの」
想像をめぐらせる。でもすぐやめる。知らないままでいたかった。
にっこり笑った顔の形、ハート、小さいの、大きいの。
煙たい。火薬のにおい。燃えたあとの。
わたしを見ないで。
まぶしいくらいのクライマックス。
フィナーレに歓声をあげる。
終わってしまう。全部。
立ちあがり歩く道は人でいっぱい。
時々ただひろがわたしの腕をつかんで引き寄せる。
「大丈夫?」って訊く。
全然大丈夫じゃないよ。泣きたい。
混んだ電車に乗り込む。目の前にただひろの胸。近すぎ。
汗くさくない? 恥ずかしくて顔も見れない。
電車を乗り換える駅で降りる。ここからは違う路線。
改札を出て手を振る。
「また遊んで」
「気をつけて帰れよ」
電車に乗り、立ったまま窓にもたれスマホを見ると母からのLINE。
駅まで迎えにいこうか?
めずらしく優しい言葉。
うざ。
「あと10分で着く。おなかすいた」と文字をうつ。
窓を見る。真っ暗な空。
襟元の着崩れた浴衣。不満そうな顔のわたし。
平成最後の夏に取り残されて、鼻緒で擦れた足の痛みだけが、わたしの今。




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