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「焦り」



なんでも私はよく焦る。

この歳にはあれをしないと。
この時間にはこれをしとかないと。

別にしなくても良いようなことをメモ帳に書き連ね、できたら消していく。
できなかったから、「選択」「コピー」「ペースト」
の順に指を滑らせ、なんだかんだ数日間かけて消化される、または、
必要ないに分類され、リストからは消える。

書き物をするようになったのは大学生のとき。
レポート課題なんて大好きだった。

大学は国公立であった。そして私は頭の良さは底辺だった。
「頭の悪さはトップオブトップ」こっちの方がいいかもしれない。

私が出た高校はこの前あった高校の友達に
「あんなロクでもない高校だったけど、友達はできてよかったと思うんだ。でも高校に思うことはこれだけ。あとは記憶ない。」
という声が漏れるくらいロクでもない高校から「ぽん」と弾き飛ばされ
、見事に奇跡的ゴールを決めました。

始まりは高校一年の三者面談。
学校生活生活態度云々の話の後。
担任:「将来の夢とかはありますか。」
:「うーん特にないんですけど、、強いて言えば社長になりたいです。」
担任:「え、笑 お母さん看護師ですよね」
:「はい。」
担任:「じゃああなた、〇〇大学入りなさい。今のところの成績なら推薦で行く方向性で。成績はキープしてください。欠席はNGでお願いします。」
勢いに弱い母と私:「え、、あ、はい」
担任:「今後、説明会など情報あれば随時知らせますので、点数稼ぎのためにも欠かさず行くこと」

とんとんとん。そんな調子で、人気が落ちているロクでもない高校の印象を変えるべく、偏差値が倍以上違うところへ目指すロクでもない女子高生(私)の話が始まるのです。

受験までそりゃ大変でした。一年生の頃の担任は寡黙なおじちゃんで、私はなんだかんだ好きでしたけど、いつも「え、怒ってる?」みたいな雰囲気で、周りの先生との絡みも薄く、でも授業中に「カラスって会話できるんですよ」とか真顔で言い始めるような先生でした。唯一私を信じて、真剣にサポートしてくれた先生でした。元気にしているかな。あの時は先生がいたから今の私があります。感謝を伝えたい。
しかし、私が卒業してから、あの高校からは姿を消しました。連絡手段もないし、歳も歳であったので、心配というか、やるせないというか、、、。

他の先生には、私みたいなやつが(校則をギリギリ攻めるのが私の唯一の反攻出会ったので可愛いもんだと思いますが、おじちゃんからヒイキを受けていたから?他の教師を頼らないから?嫌われていました)大学に行けるわけがないと、面接練習ではバカにされ、ロクでもない教師にロクでもない関係のない質問をされ、悔しくて泣いたもんです。

新しくきた英語の若い女の先生、メンタリストのオールマイティーなちょっと変わった先生、英語の問題をよく作ってくれた可愛らしいピンクの洋服を着た先生。

4人の先生だけは卒業して7年になりますが、鮮明に覚えているものです。
バカにしてきた人は微塵も記憶にございませんが。

サポートのおかげで無事合格し、私になんの恨みか知らないが、
「受かるわけがない、お前バカだ、落ちる方にかける」など言っていた先生方の
腰が抜けていたこと光景は滑稽でした。

そんなバカにしてきた先生方が、「説明会でお名前借りてもいい?」なんて聞いてきたときには反吐が実際に出ました。「どうにでもしてください」と断るのも面倒で、記憶から消しました。

そんなこんなで、受かった大学生活はそれはそれで地獄でした。
地獄、ばっかりやないかーい。
よく聞いていた曲は

星野源で「地獄で何が悪い」

病室夜が心をそろそろ蝕む
唸る隣の部屋が開始の合図だ
いつも夢の中で痛みから逃げてる
あの娘の裸とか
単純な温もりだけを思い出す
無駄だここは元から
たのしい地獄だ生まれ落ちた時から出口はないんだ
いつも窓の外の
憧れを眺めて
希望に似た花が女のように笑う様に手を伸ばした
、、、

この曲には励まされるわけでも一緒に落ち込むわけでもない。ともに生きてくれた、このジャズミュージックとともに進む歌詞の勢いで台風みたいに一回それだけしか考えなくしてくれる勢いにやられる、やられさせてくれた曲であります。
星野源さんありがとう。

話飛びすぎ。地獄の大学で友達からも、先生からも家族からもバカにされていると思った私は(多分その時も私おかしくなっていたと振り返るし家族からも言われる)レポートだけは、自分の心を落ち着いて表現できる場だった。勉強は嫌いでなかった。教えてくれる内容で、大学の教授は自分の好きな分野を語り、あとは皆勉強ができるものだから、教材で学んでいて、私はその学びができなかったのだが、
その教授の話も好きだった。それについて、教室の片隅に座るバカな学生でも、一人の人間として会話していい権利を与えられた気がした。

そこへ先生も評価してくれたり、レポートだけは評価がいい私を気になってくれたり、友達もできたりしてそれだけがきっかけではないけれど、「私っていていいんだ。」と思った。

そんな感謝している、初めて認めてもらえた文章に対して今私は「焦り」を感じている。

書こうか迷ったけれど、各権利もないくらい未熟者だけれど、
だれ?お前みたいな感じだと思うのだけれど、
焦りを素直に出すことも悪くないかな、、、へへ、、みたいな深夜テンションの私は書き進める。

noteには本当にたくさんの表現に長けていたり、情報のまとめ方が上手であったり、この話聞きたいや、行間を開けて読みやすい人。詰まっているからこそいい味が出ている人など色んな人がいて、自分は読み手に寄り添った文章ってかけているのかなとか、自分の文章の色や味が定まっていないこの書き方で、成長できるのかなとか、趣味で書いているはずなのに、余計なことばかり考えてしまう。

NOTEを書いている人には、私は、ホーム画面で気になった人の作品をぽちぽちと呼んでいるのだが、学生さんだったり、闘病している方であったり、日常を何歳ですという目線から、見えている景色を書いたり、本当に
読みたくなったり、色が見えるような、羨ましい作品ばかりだ。

そんな作品を見るたびに思う。
「私ってなんなんだろう」

それとともに思う。
「私って何になりたいんだろう。誰に認めて欲しいんだろ。認められることを欲しているのだろう」

と。愚かな思いは案外消えてなくならず、自分で認めて受け入れてもなお醜い。
隣の芝は永遠に青い。
こんなことを思うたびに、私を好きでいてくれる恋人や友達に申し訳なくなる自分もまたいやだ。いやだが重なり、私はまた消える。

そして新しい自分を作り出す。自信が持つ寿命はだいたい短い。

しかし、思いや書きたいことは無くならない。これだけが、私のある、あれる理由かな。

私がするべきことは、愚かを公言しないこと。ぶつけてもいいのはここの中だけとする。そう考えるとここは案外自由に息ができるなと楽になった。

歯がゆい思いや鉛は、少しの勇気と少しの面倒な始めを始めてみると
息がしやすくなると、今日も一つ学ぶことができた。

焦る思いはここで消化しよう。自由にさせてやろう。
みんなもものは抱えすぎると動けなくなっちゃうから、如何しようも無い思いや言葉は吐いてみて。私がどんな思いも、自由に文章という広い世界に放る手伝いをしたい。頼りない自分自身もそんなことで手伝いをするつもりで生きていきたいと思う。




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