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私は結局一生懸命生きることが、「生きること」なんだな、と諦めた話〜母の話



頑張らないことを頑張りなさいと言われ続けた。なんだかんだみんなよりもなんだかんだある人生でしかない。自分から飛び込むものばかり。
それのトリガーは小さな頃からの癖のほら吹きを本物にする癖や、自分は自慢できる商品でいないとという謎の切迫感から生まれるもの。

母親は「こどもは生まれた時から1人の人だからそれを尊重してサポートしてあげる」
という姿勢で向き合ってくれた。

ただ他人に危害を与えることに関しては手の跡がつくほど叩いて怒られた。そんなことをされてよかったと思う。おかげさまでデリカシーや思いやりはある方だとは思う。

母の人生は九州の端の方のど田舎で生まれ、どでかい一軒家に1人、共働きの家に生まれた小さな女の子は取り残されて、こたつにくるまっていたそうだ。

こたつの中は人肌あた高いし、なんとなく狭くて、ベッドで寝るより落ち着いたんだって。
そんな彼女はこたつにずっといたせいでお尻に瘡蓋ができた。コンビニに行くのにも車で二十分はかかる。蛇はたまに出るし、3日に一回は白いネズミが出るような家にビクビクしながら暮らしていた。

彼女は同年代のいない田舎で、唯一昼間心を通わすことのできる「動物」が大好きだった。
家では牛三頭、羊が2匹、山羊が1匹、鶏は5羽、ひよこが8匹、豚が1匹。

毎日挨拶をきちんと交わすのは動物たちだった。
よく、山や庭を駆け回ると、ずっこけて膝がグチュグチュになったという。
お母さんだと思われていた少女は、ひよこがよくついてきたという。
「ピヨピヨピヨ」
いつもみたいにおいで〜と列をなして、撫でようとするとグチュグチュの膝を突いたという。
奴らに悪気などない。えんえん泣いたがなでることはかかはなかった少女時代の母であった。

ある時飲み会では、父(祖父)が勤務するトンネル掘りの土木で、それか、父が取り締まる畑の宴会でハブ酒が出たそうだ。

小さな母を、「家で遅くまで1人はかわいそうだからな」と連れて行っていた。

小さな母は、父の目を盗んで、泣きながらハブ酒の中で丸まるハブを「可哀想だよ」と
静かに取り出したみたいだ。

田舎だからか、異様な目で見られた母だそうだが、
父は可愛くってしょうがなくて、忙しい中できるだけ面倒をみた。

母(祖母)に関しては元から子どもは欲しくなく、どうしても頼まれて産んだ母。面倒を見ることなんて、慣れない祖母は怪我をしたら血が出ているところに湿布を貼るし、家の支払いや学校の行事なんて父がいないとできなかった。

そんな祖母は私(孫)は可愛かったみたいで、面倒をよく見てくれて、美味しいご飯を作ってくれた。

私たちは小さな頃祖母といる時間が長かったせいか、母といる時間の方が緊張し、その時ほどいい姿を見せないと、と育った。それは勝手にであるがそんな感じで育った。

そして母と祖母の仲が悪いことが小さな頃からあからさまだったことが悲しくて祖母を庇う幼少期と母の昔を知った中学時代で謎の疑似体験を母の育った土地に行くこともあったからか、してしまってすごく母に同情した。

私なんて恵まれてると思った。そんなこと普通思わないかもしれないけど、恵まれてないと思ったからそうゆう言葉が出てきたのかなと疑問が浮かぶ。

母の昔を知りながら、優しい祖母との仲介役を小さな頃から行い、どちらにも味方ができるような言い回しを永遠ほら吹きのようにし続けた。

本当の話だったどちらも好きだった。

今となって、永遠に謝る母や祖母。もういいよと思う。だって、みんな1人の人だから。それぞれの人生や思いがあるけれど、私という1人の人とあなたという1人の人の物語だから。

広げて仕舞えば、またストーリーが広がったり面白みも出るけれど歪みが出るならページは閉じておけばいいよ。ある事に変わりはないし、それぞれでその内容は変わるものだから。

たまに話せば書き換えることもあるだろう。それはそれでお気に入りの本に「ここがお気に入り」と線を入れたりコメントを入れるみたいで深みが出て趣に色が足される。

頑張りつづけたり、刺激物に足を突っ込みたがる私の話からトリガーの話から、なんだか全然また話が逸れてしまったけれど、これはこれで腑に落ちないけど、

コインゲームであるジャックポットの他の可能性が一つ潰れたみたいで、ポイントが貯まるみたいで、意味がないようであるようでそんなことが好きだ。

すぐに埋まったらワクワクもドキドキもしないもんね。

すぐ手に入るものなんて、大人になればなるほどあっけないものですぐに解けてなくなるようなものだ。

じっくり磨いて、じっくり煮込んで、味を足して、素晴らしいものを作り上げること、その過程に意味があるんだと思う。

私も頑張りすぎないことも意識して、でも頑張り続ける私にも何か意味がないこともあることも分かって、世界に命がある限りは在りたいなとまた、今思う。

一度何か自分の故障や傷に気がつくと、それとは付き合わなきゃいけないような、嫌な言い方をしたりしなかったりするけれど、

その傷も愛せるようになるんだなあみたいな、小さな頃、怪我をしている人がなんだか羨ましくなった経験を思い出す。

誰かは誰かが羨ましいのだ。

1人でぐるぐるする感情もあなただけのものだ。それはきっと意味がないようで在るし、誰かが羨ましいようで自分には恨めしいものである。

どうせだったら飼い慣らせるように一緒に今だけはいい方向へ。ここを踏みとどまっていい刺激に足を優しく入れれるように。

なんとなく考えられる時だけ感じれる時だけして行こうかな、見てくれているあなたも、何か心に歪みや、悲しみや、謎にたまに心に穴をあけられたり寂しい気持ちになるあなたも、

少しずつ可能性を潰したり、転がしたり、寝かしたり、ページを逆に閉じたり、書き足したり塗りつぶしたり自分のいいようにそれを彩って、
自分のものを可愛く愛おしくしようね。

飛行機から見える光を見るとこんな気持ちにさせられる。
たまには飛行機乗りたいな。彼女と次は乗りたいな。

今日はおしまい。また明日会えたら会おうね
わたしはここに在ますから☺︎

(私の友達(ゆう)に捧げる)
人の人生にすぐにのめり込む私はその人よりも頑張らなきゃと負けず嫌いというよりも何かを背負う癖があるみたい。
そんな自分が私は嫌で自分を大事にできてなくて、家族にも迷惑をかけて、職場にも迷惑をかけてなんて追い込んでいたけれど、ある時自分の人生だと気がついた。
自分は多分人よりも吸収して、それを含んで人に会いに行ってまたそのスポンジに含んだそれらをきれいな色に濾過して潤せる人間なんだろう、そうなりたいそうでありたい。

そう思わせてくれたのは案外昔の大事な人から見るとそして本人が言うには「無機質」な友達だった。
私はそんなこと思わない。思ったことがない。
でも多分彼女が出す、自分の無機質は、いい意味で染まりやすいし戻りやすい珪藻土のような利便性があった。

「いい人に恵まれたね」と言われる彼女は
彼女自身が持つパワーや優しさ、ケラケラと笑う彼女の無機質さは、その人をその人らしくいられる時間を彼女自身も楽な場所でいることができる才能だと思う。

彼女がそれに早く気がつくように願う。そうなっても変わらない彼女であることに自信がある。

人に優しい人で彼女のためにもありたい。

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