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私は名前があるのに「レズ」と呼ばれることがある



私は25歳の一人の人間で、なんだか、時の流れか、あまりに素敵すぎるまた一人の人に出会い、一緒にいます。

その人も女性で、その付き合っている事実、そして愛するものへの趣向は「レズ」と呼ばれることがあります。

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「レズ」と言われることについて
最近身近になった言葉。それは、多分、人々の努力の結果だと思う。

勇気を出して便利になったSNSでの発信から、
ファッションになり、流行となった。
流行り言葉みたいな気もしなくもない。
なんだか見て見ぬ振りをしてきたものがきらびやかな世界となった。

最近Netflixでも、boyfriendの配信で、有名になった出演者たち。

彼らも覚悟を持って出てきて、ああやって受け入れてくれたり反響がすごくいいことは、彼らの人柄があってこそだと思う。

人間らしさの愛おしい部分や、素直なところ、一人一人の背景をファッションとしてのセクシャリティーではなく、一人の人間としてあの舞台に立つ、惹かれ合う様子は誰もが見入ったと思う。

抱えている悩みや、自分の見せ方って、セクシャリティー関係なく、誰しもが思うこととさほど変わりはなくて、

それでもまだ、生きづらさが残るしこりの部分は、やっぱりセクシャリティーでもあったなと再確認させられた。

取り除きたいと思い願うのが本心でありつつ、やはり両親に申し訳ない気持ちもあることは素直に有る。

結婚やお付き合いが簡単に認められないからこそ、ちゃんとしようと思うし、
ちゃんとした人で自分もありたいし、背広を正す気持ちになる。

これは、このセクシャルだからそう思うという前向きな気持ちと後ろめたい気持ちの両面があることは、綺麗に見えすぎてしまう今の世の中の人に伝えたい。

そしてこんなにメディアや楽曲に見せることがタブーとされていた事柄を取り扱ってくれることに感謝の気持ちがたくさんある。

私はそのおかげで今、こうやってブログを書いたり、友達に紹介したり、後ろめたいきもちで彼女と自分を傷つけることなく、息をできているのだと思う。
全く、マイナスな気持ちがなくなるわけではないが、過去にいきた人たちは本当に大変できつい思いをしたのだろうなと心が痛い。

今不景気で、多くの悪が明るみに出やすい時代ではあるがいいこともたくさんあるとなんだか思う。
安全だし、したいことをしようと思えば媒体は多い。

どうか、誰にでも平和な日本が、時代が続きますように。
なだらかに時間が流れますように。

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中町兄弟の動画の切り抜きが回ってきた。
レズ受けいいユーチューバーの話。
リリちゃんのことは「このリリ」で、ギャルマインドも確かにそうであるが、ナイーブなこのみちゃんと友好関係の多いライリーちゃんが、似たようで両極端に居る世界線で、お互いのことをうらやましくもあり、「こうした方がいいよ!」とか
「あんたのここがめちゃくちゃいいんだよ!」と何も気にしていなさそうに振る舞うギャル二人が掛け合う場面がとても好きだ。

そんなリリちゃんはレズ受けがいい。
確かに、かっこよくて美しくて可愛いライリー。動画で見るのでも顔面が可愛いのに、しゃべることまで面白いし、人生で得た価値観を素直に話しているところが、ああ、人のことも考えられる人だからこそ、視野が広くてそこでまた自分の考えを整理できる、相談できる人なんだろうなとこれまた、視聴者の勝手な妄想で、さらに、人間として好きだとその人のことを決めつける。ハラスメントする。このセクハラ女め。黙ってろと自分の口を縫って見たりする。

とにかく素直に一言。ライリーちゃん直接なんて見たら心撃ち抜かれるだろう。

私というレズの分類の人間、そりゃもう好きですよ。でもほんと、一人の有名人として好き。中町あやちゃんも、顔小さいし、なんだかいろんなことをプロデュースして、私より若いのに、向上心の止まらない負けず嫌いな子なんだろうな、努力するって難しいことなのに、偉いなと感心するし、失恋動画を最近見たが、一人の人を初めてあんなに愛したという内容や、自分も辛いであろうのに、失恋したことのある人に寄り添うような画面越しの話す内容はとても心を打たれた。

ああ、素敵な女の子だな、偉いなと好きになった。

こんな感じで、誰でもすぐ好きになる私は、レズだからという概念より、一人の人として好きだ。

男の人も好きになるけど、それよりも少し女の子に目が行くことくらいかもそれくらいの違いだと思っているし、レズだから好きだよというなんだか少しいやらしさを感じさせる言葉(私が女性と付き合っているからそういう目で見られているのではないかとよく気になる気にしすぎかもしれない)を好きな人に使いたくないし、
そう思わせることによって、本人を怖がらせたり、意識させたくはないなと思ってしまう。

自意識が過剰だ。はい。

でも、そう思う子っていないかな。私だけ、、?

tiktokでもよくアイドル切り抜きの動画を見る。
ああ、twiceのオタクをしていた時のナヨンさんとももりんの掛け合いもよく見たなと懐かしい気持ちになる。私は完全にももりんに恋心を抱いていたので、あれはもう心底好きだ。レズとかそんな言葉ではない。愛です。

こんな感じで、レズ以外にも私なりの言葉があるのだけれど、一言の方が伝わりやすいしインパクトも理解も上がるよね。

言葉をこんなに気にし始めたのはいつからだろう。

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私は20前後までは男性の方とお付き合いしていたいわゆる普通?の人
またこんなこと言うと普通じゃないってことみたいなことにもなるよねみたいなこんな何が正解かわからないことが広がる。。

正直「レズ」に該当される今の私はその言葉はうっと謎に「はい!レズです!」
と仲のいい友達の前でも恋人の前でもあまり口にしていない。
セクシャルに対してとか、どうとか、私がどこに該当するとか、そういう問題ではないのだけれど抵抗感や違和感がある。

最後にお付き合いした男の人がまあ、トラウマを植え付けてくださり、ああ、恋愛できないのかと落胆しながら、そんな悩みをネットにぶつけていた時に、あるユーチューブに見覚えのある人が写っていた。

高校の時の先輩だった。なんだか迷ったが、ラインもあったので、挨拶を軽くし、
「これって〇〇先輩ですか」
と勇気を出して聞くと
「そうだよ!お前れずなの?」と即レス。

ちょうど私が20の時にその仲のいい先輩に流れで2丁目に誘ってもらい、
あの時代の二丁目のバーの定員さんなど、その仲間うちのYouTuberが沢山いたころ、そんな動画で見ていたいわゆる「インフルエンサーの人」たちに初めて直接あった。

「このこファンみたいだよ」と先輩が普通に私とその人を対面させる。

「初めまして!2丁目初めて?えーかわいい、写真撮ろ」
と綺麗でイケメンな私の友人や彼氏にはいなかった綺麗なカラコンの色の奥で私を見据えてくれている女性が話しかけている。なんだ、可愛いとかこんな息をするように出てくるのか、初めて女性に言われた私は完全に落ちた。

ときめきとワクワクとなにか感じたことのない憧れや世界がたまらなかった。
ああ、こっち側の見据える側になりたいと、同時に思ったのも確かだ。

そこからの日々はなんだか今思うと「クズ」と言われる分類の経験を重ねた私の生き急ぐ癖や、追いつきたいという癖、好奇心がそんなことをさせた。というかした。そんな話は長々したくないから終わりだけれど、私の女の人に惹かれ始めたのはその頃だ。

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私の仲のいい友達はよくその友達に私のことを紹介してくれたり、
飲みに一緒に誘ってくれたりしてくれた。

友達に紹介したいと思う友達は私の中で自慢の友達だからそれをされると
なんだか勝手に嬉しい。

「ああレズの子!よく話してるじゃん」
と紹介されることも多かった。ああ、珍しいし最近流行っているもんね、となんだか説ねい気持ちにもなるが、親しい友達でその人の人柄もわかっているからそんな言葉では私はへこたれるような人ではないし、別に悪口とは違うのがわかっていた。

しかしながら、複雑な気持ちになったりするので、
もう少しオブラートに包んで欲しいが伝わりやすいのは確かだ。

「そうそう!彼女いるのー」
と話し方を変えて少し友達の首は「そういう言い方次からはするなよ」と絞めてやる。

好きな友達にはそうしてオブラートに包むんだよと口封じをするが、
初対面や、なぜか馬鹿にされているような気持ちになる人とはもう合うことはないし、
何だってこの歳になればそうだ。合わないやつとは会うことはない。

***
まあ、「レズだ」とかそんな言葉が、
YouTubeでも言われていたので確かにな、とか思いながら、
コメントを見るとなんだか盛り上がっていた。

ああ、私が思うより全然みんなの心は広くて平和だなと感心し、
自分はなんて心が狭いんだと思った。ジェネレーションギャップを感じた。?

私の彼女も「セクマイ」や、「レズ」とかそういう言葉で自分を呼ばれるのがなんだかその区切りとわかっていても嫌らしくて、イベントなども行きたいけど行けない、いかない、嫌な気持ちが少しでもあるところは自分の機嫌が悪くなるからいかないよと大人である自分の機嫌は自分で取るをしていてこれはこれで偉いなと思った。

何が言いたいかっていうと、
嫌だとか批判したいことからは別に目を背けたらいいと思った。
こんなこと言う時点で背けられていないと多分ブーメランにあう。私もそう思う。

「言葉」って難しくて、
今眠れなくて「味付けお米ちゃん」という大食いのユーチューブを見ていたんだけれど、あんな年下の子が一生懸命食べるのが好きで、二郎系ラーメンを食べていて、「あ、今箸を建ててしまいました」だの、少量のめんをつるっと落としたことを「こぼしてしまって、ごめんなさいい」など言っているのを見てなんだか普通に「いい子だな」と無の状態の夜中に快く見ている私自身が恐ろしく感じてしまった。

ああ、私もそうやって人のこと見て何かをおもう「化け物」みたいだ。
美味しく食べている動画を見たいだけなのに、謝りまくるお米ちゃんを見て、ああ気にしていて「偉い」と思うことが怖かった。

だからこうやってアウトプットして客観視してみる。

HSPの人が増えているのもそうならざるおえないなと思った。
ミスがなんだか許されない世の中で見えないレーザーに当たらないように心を緊張させて生きているのかなとか夜中なので気になってしまった。

ああ、目を背けたい。
そんな夜中は、味付けお米ちゃんでもみよう。
私は二郎食べてるところと、コラボが好きだ。
とにかく顔が可愛い。これもレズだから怖がらせてしまうのだろうか。

最近噛み合わせの手術をしたみたいで、喋りづらそうしっかり休んでまた美味しいものニコニコと頬張るところを見たいです。

ああ、若い子達があんまり気にせず楽しく生きれますようにと三十路は思います。

終わり。

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