水が必要だ
私たちには水が必要だ。
土より、雨より、太陽より、いのちがあることが大事で、それの源は水であるから。
人は何回感動できるか?
私は感動できたら幸せになると思う。
私は、1日の中で何度も感動して水を流す。
理由は沢山あって理由が生まれる場所は心の奥の奥の奥からで涙もまた。
レジ袋の有料化よりプラスチックであるペットボトルを買う利便性にヤラレタ愚かさについてはどうだろうか?
私は鹿児島のこの水族館に来てそれに気付いてまた水を心で流す。
雨は降ってた今日に、間違えて発泡酒を買った。
お酒が飲めない私は慌てて水を買った。
こんなに美味しいのかと久しぶりに感じた。
その自動販売機には、ペットボトルの水が置いてなくて全てカンだった。
それの意味は、プラスチックは魚や生態系や環境を壊すから。
海洋のための水族館は、海洋のために魚のために生態系のために環境のために、缶の水が置いてあった。
私はここへ毎日来て缶の水を買って、好きな人に送ったドライフラワーの前に缶の水を供えようと思う。
この花が潤うように。
そして雨だったこの水もまた、どこからやってきた水なのか、この水を飲みやがて雨になったとき、またどこで降るか、それを想像させる奥深いものだった。
今日の水族館の魚は大量だ(大漁?)
水は慈愛でしかない。
何かにイラついて怒鳴りそうになった時は必ず水を飲もう。
水を飲んでから言葉を話そう。
それだけで世界は優しくなる。人は優しくなる。人に優しくなる。人に優しくされる。
生態系が廻るように。循環するように。
だからトイレとお風呂とキッチンの皿洗いだけはせめて清潔を保つように心がけてる。
なかなか保つことがまだ始めて間もないから上手くできないけど、
必ず。
H2オー。は、水の化学式だ。
この、2とは水から生命が生まれることを意味してると思ってて、それでいてこの2とは、人は一人で生きれないから男と女、アダムとイブが共同体で存在を果たした始めての命。
いわゆる支え合う男女の数だと思う。
そしてそこには水で潤ってる。
そしてまた生命が息吹く。
それを信じて、じゃあ、そのあとで愛について疑う時もある中で、苦しみがある中でどう何をどうやって信じ、貫こうかと悩みここへきたのである。
水で溢れてる水が最も必要な水族館に。
楽園からは、追放されても、少なくともここは楽園だった。
ただ魚の前でフラッシュを焚かないで下さいと書いてた中で人は命を前にして映えのために流行りのためにフラッシュを炊くのだから哀れな生き物だなと痛感したのは事実だった。
私は神社やパワースポットにはいかない。
願をかけたところで使いの精霊に仕事をさせて自分だけ幸せになっても申し訳ないし、悪党だろうなーなんて思い始めたから。
まぁもともといかなかったけど。
だから自分は自分が信じてるものを自分からパワーをもらう。
そんな生き方がしたい。
これからも水回りを綺麗にすることを心がけて、できるだけ水を飲んで、
ペットボトルをなるべく買わずに、
あとは、生態系が崩れ地球という水の星が壊れかけてる中で、人間全体が取り組まなきゃいけない環境問題を抱えなきゃいけないと思った。
これが身近に感じれずに心が動かないなら、H2オーがいつも身近にあるように、自分の恋愛に関わってくると思い込めばいいと思う。
私はそれを真剣に考えた。
感じ取らないことは非常に恐ろしいことだと思った。
環境のために生きる、人のために生きることが、全て自分の富になることは、もう自分の中では身近に考えられるようになった。
しかも恐怖や不幸を恐れるような気持ちで。
恐れが人間には必要だと思う。
だから、もっと恐れて、ならこうしようと決めて、問い続けて、今日はどこへ行こう?。
人間は水を汚す。
何もかも汚す。
なら、綺麗にしなくちゃ、
酸性雨になって私を、
いや、私の恋人を殺して、
そのあとで絶望が倍になって私は、
私の心を殺すだろう。
そんな怖さを感じるように誰かのために何かのために生きていく。
水を愛そう。
水が不必要な人などいないから。
誰も愛されるように。
だから、水を美しく保とう。
始めよう。
旅に出よう。