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ホモファーベルとしての生き方
ホモファーベルとは、人間は本来遊ぶ(創造する)生き物だと定義されたものである。
いま、コンピュータも普及し、リモートなどもコロナによって発展して、
コロナが導いたのは10年後がいまに早送りで現実になったことだ。
そこに意味がある。
今が求めるものは何かということだ。
短縮された環境の中で、例えばビジネス本という実用的なものしか売れず、
芸術は搾取されて心が奪われていくように、
それと比例した関係でニートが増えてくる。
これは問題と言うには愚かな計算、的外れと思っていて、
私は現象、状況、状態だといいたい。
直訳すると、
ニートや精神が崩れて外に出れない人は、
実用的なもの物質的なものであふれた世界で、
内的な芸術だったり、水の流れを感じて愛おしい気持ちになるとか、
いわゆるホモファーベルの原型を持っているから
それを抹殺された社会に適応できないだけで問題ではなく現象なのではないかというものである。
福沢諭吉はいくらでも印刷されてて、
例えば10人の福沢諭吉が1人でも風に飛ばされてあたふた嘆くのに、
ゴッホの世界に一つのひまわりの絵を部屋の壁紙にかけることを価値としないこの感じ。
大袈裟に表してはいるが、こういう寂しさを現代社会は抱えてて、
これが思いやりや想像創造の欠如のように感じる。
ホモファーベルとして生きることは、
例えばノーベル賞の起源の全てでもあると思うし(発案力など)
もちろんこれが仕事に繋がるし、
それも現代の無意味な不倫報道やネットにあふれてる嘘偽り悲しい事件を取り上げるマスコミに振り回されるアンチエイジングの退化ではなく、
効率よく、何よりこの世にとって善いものであるものを作り出すことに人は評価されるから、自分のために誰かのためになるだろう。
あとは、そもそも遊びに結果を求めないことが結論結果になるということかなと。
それ自体に夢中になれれば人は強い。
ホモファーベルとしてニートは何をしようか?
病院に入院してる貴方こそホモファーベルの該当者で、貴方は何をしたいか?
それは、すべて私のことと気づきながら。
遊びを繰り返すこと。
明るいものを作り出すこと。
芸術や感性のルネサンス(再生)。
私自身も考えなきゃいけない。
ホモファーベルの素晴らしい人をここでひとつ紹介したい。
こんなに自由な生き方があるのかと。
彼女は面白い。
人間はつまらないと言っていて、
魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類のなかの人間はただ一種類でしかないと言い放ち
人の目に言葉に逆らいながら自分の遊びを極めている。
そうして彼女の生き方とでも言える個性的なメイクをするのだ。
ここに貼っておくので是非彼女から夢をもらって欲しい。