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第1回世田谷区芸術アワード飛翔音楽部門受賞内容詳細

「もしも鹿鳴館(現代邦楽DE世界音楽(仮))」企画書

・概要

明治維新の折に日本に取り入れられた音楽が、西洋音楽ではなく、他国のアジア等の音楽であったなら、という仮定の下に、 既存の各国の民俗音楽を邦楽器で演奏する。
(選曲に関して:箏、三絃、尺八に似通った楽器は各国に多々あり、その中から無理なく邦楽器で演奏できる曲を選曲する。)

・考察とねらい

私は、毎年現代邦楽を演奏してきまして、常々違和感を感じておりました。 現代邦楽はほとんど五線譜で記譜されており、様式もほぼ西洋の物です。 それを邦楽器で演奏すると、本来日本音楽が持つ、繊細な音程感覚や間(ま)、スピード感などが失われてしまう様に思います。私にはヨーロッパの音楽と日本の音楽は相性が合わない様に思えてならないのです。又、現代邦楽を演奏する場において、演奏家に強いられる事も西洋音楽の知識、技術が大きな割合を占めていると思います。現代邦楽演奏者と邦楽演奏者が分業してきているのが実情だと思います。
しかし西洋音楽は我々日本人にとって、最早なくてはならない物であり、その手法も常識となっております。五線譜をとってみても現代邦楽を演奏する上で、なくてはならない物で、非常に便利な物でもあると思います。
日本音楽の本来持つ特性は西洋音楽とはかけ離れている様に思いますが、それを私は愛しく思い、大事にしていきたいと思っています。その日本音楽を未来へ存続し、伝統を繋げていくには、やはり、新しい試み、創造が必要不可欠だと考えます。それには、実際に行い、試行錯誤し、模索を続ける事しかないのではと思い、私はそうしていきたいと考えております。
現代邦楽は西洋音楽を取り入れて今に至りますが、その取り入れ先は西洋音楽でなくてもいいのでは、というのが私の模索の方向性です。
私は教育機関で西洋音楽の教育を受けてきましたし、誰しもがそうだと思います。 今の日本では西洋音楽が最も盛んだと言って過言ではないと思います。が、私は常々、西洋音楽はたくさんの国の音楽の中の一つの民俗音楽ではないかと認識しており、 それら各国の音楽も、西洋音楽と同等に学べたり触れられる環境があればとずっと望んでおりました。私はこれまで、自分なりに、民俗楽器を学んできましたが、いつからか日本音楽を中心に据える様になっておりました。そして私に何ができるのか、何がしたいのか、どうなりたいのか、考えて参りました。
運よく50期の会の素晴らしい仲間に恵まれ、コンサートを催す事ができる環境ができました。本当に有り難く、幸運な事だと思っております。今まで仲間達と共に公演を行ってきた中で、私が何をできるか、どうしたいのか、考えてきた事が今回の企画書の内容です。私が学んだ経験のある国の音楽や、50期の会メンバーが触れた事のある国の音楽や、又、自分らで思考錯誤し、先生方や知人友人を頼りにもし、いろいろな国の音楽を邦楽器で演奏するという企画コンサート。それが私の今考えている、一番面白いと思う事です。

演奏会挨拶文

さわやかな秋空が美しく日増しに秋の深まるころとなり、皆々様には御健勝の事とお慶び申し上げます。本日はご多用中のところ賑々しくご来場頂き、誠にありがたく厚く御礼申し上げます。お陰様をもちまして、本日4回目となります特別企画公演を開催させて頂く運びとなりました。この日を迎えられますことは、私達にとりましてこの上ない喜びでございます。これもひとえに池辺晋一郎先生、世田谷区、せたがや文化財団、私達のお師匠様方、ご後援下さいました皆様、また会を盛り上げて下さるお客様、スタッフの方々の暖かい心添えと、心より感謝しております。
本日の公演のテーマは鹿鳴館と致しました。西洋音楽は明治期に取り入れられ、今に至っているという事をまず示唆する為です。50期の会はこれまで「現代邦楽」を中心に演奏会を開催して参りましたが、広義の「現代邦楽」は西洋音楽の様式により作曲された曲を演奏しているものと言っても過言ではなく、必要とされるのは西洋音楽の知識や技術であろうと思われます。西洋音楽はそれと認識する事がない程、私達の身の回りに溢れており、グローバルスタンダードと言えるでしょう。しかし私達が演奏し愛する和楽器の良さは、西洋楽器とは質が異なり、その音楽の美しさも違うところにあると思うのです。
私達は各自流派も師匠も異なりますが、日本の伝統音楽を愛し、各々の師匠の芸を継承していきたいという思いは一つです。その音楽を生きた形で現在、そして未来に伝えていくには保守する事だけが方法ではないと考えます。一つの方法として、今回の演奏会を企画致しました。西洋音楽ではなく、日本と近いアジアの国の音楽を取り入たらどうなるだろうか、と。
西洋文化を急速に取り入れた、躍動の時代の中にあった鹿鳴館。そこへもう一度立ち返り、日本の音楽を考えてみたいと思ったのです。
 今回の企画を実現するにあたり、予想以上の多大な労力がかかり、又多くの問題点も浮き彫りになりました。まず、アジアの音楽を演奏するにあたり、一度五線譜にしなければならなかった事。そしてそれをどうやって和楽器で演奏するか。音律はどうするか。限られた時間の中で、いかにしてそれぞれの地域で生きている音楽の特性を表現するか。資料も文献も少ない中、雲をつかむ様な状態でした。我々は必死に答えを模索致しました。本公演に対し、メンバーは多大な協力を惜しみませんでした。この事が私には信じられない程の喜びでした。選曲については、私の趣味と好みで選ばせて頂きましたが、それにより、演奏者にはよりいっそうの苦労をさせてしまう結果となったのも否めません。
本プログラム掲載内容においては、各国ともさわりの紹介にとどまらざるを得ませんでしたが、少しでも興味を持っていただければ嬉しく思います。又、混乱を防ぐため、国名は現代国名、表記は全て日本語と致しました。
最後になりましたが、出演者一同皆力を合わせ、本日の舞台を目指し切磋琢磨して参りました。今後とも精一杯の努力を重ねていくつもりで御座います。本日は一所懸命勤めますので何卒ご高覧賜ります様、又、末永く御指導、御支援賜ります様よろしくお願い申し上げます。
 


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